町田1) 湾生の歴史・・・(7号)

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香川県/濱田知事殿
高松市/大西市長殿
台湾東部の花蓮県には日本統治時代(1895年~1945年)の1910年頃より国策として「官民移民」が行われ四国・中国・九州から3000名超の日本人が開拓農民として台湾へ入植しました。
「旧吉野村」では特に徳島出身の方々が中心で香川・高松の方々も多数おられたそうで弘法大師さまをまつる唯一の日本式寺院「慶修院」も現存しております。
当時の「湾生」(台湾生まれの日本人)のドキュメンタリー映画が今秋上映予定にて、5/11(土)に記念イベントが開催され日本より湾生の方々が花蓮へご来台されます。
当日は法要や萱老師の日本舞踊や和太鼓も披露され、主催者より花蓮県知事と共にご招待を受け5/10(金)晩餐会&5/11(土)イベントに参列する事になりました。
「四国と台湾との歴史」としてご案内まで。
香川県名誉大使&高松市観光大使/町田 健司
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              「四国と台湾の歴史」

 日本統治時代(1895年~1945年)四国からの国策移住そして四国への敗戦強制送還の「湾生」(台湾生まれの日本人)の歴史です。

花蓮吉安鄉在日治時代舊稱「吉野村」,是全台第一個官辦移民村,當時住在這的日本人,­在日本戰敗後被遣送回國,而在台灣出生的二代移民,被稱為「灣生」,他們一直認為台灣­是他們的故鄉,希望能取得在台灣的出生證明,然而這群小人物的故事卻沒人記載。灣生第­三代、台日混血的田中實加,便開始在台、日兩地跑,收集文史資料、做田調、訪問耆老,­帶著老灣生重返花蓮尋根,挖掘一段又一段今昔交錯、跨國感人的溫馨故事。
天真活潑的小朋友跳著阿美族舞蹈,歡迎遠道而來的貴客。雖然語言不通,但這些日本來的­貴客仍能感受到熱情。
這些日本人其實是在台灣出生的「灣生日本人」,一八九五年日本接收台灣,一九一零年四­國德島縣吉野川農民大舉遷徙到花蓮,進駐官營的移民村「吉野村」,也就是現在的吉安鄉­。日本戰敗後,一九四五年日本人被遣送回國,成了一群備受歧視的「灣生」。這些灣生如­今已經八、九十歲,仍念念不忘兒時在吉野村的生活點滴,而且心中始終有個願望,希望能­夠取得在台灣的出生證明。

村「吉野村」,也就是現在的吉安鄉­。日本戰敗後,一九四五年日本人被遣送回國,成了一群備受歧視的「灣生」。這些灣生如­今已經八、九十歲,仍念念不忘兒時在吉野村的生活點滴,而且心中始終有個願望,希望能­夠取得在台灣的出生證明。

======【511港生帰台イベント模様】======

5月11日イベントチケットは400席全て売切れ。159枚の超過販売が出た程でした。
これまで11年来137名の湾生の方々に加え、第141人目の出生戸籍謄本が台湾花蓮県長傅昆萁さんから渡されました。

今回来台されたは湾生のご家族は計26人。
5月11日:夜 7:30 花蓮文化創作パークにて湾生と共に《あれから今も、お元気ですか?》としてあの日々の湾生らの物語を分かち合いました。

土井準一さん(70)は徳島県小神子村から来られた移民3世。
今回は彼にとって生まれ故郷である吉野村への初めての帰還となります。土井さんは、鹿児島から上陸して吉野川に戻るまでの道のりは非常に険しく、徳島に戻っても何もなく、それどころか現地住民に病原菌を持ちこまれると恐れられ、誰も受け入れてくれず、あまりにも苦しい生活に耐えられず多くの人が離れていき、現在この村に残っている世帯は土井夫妻のお二人だという事です。この小神子村は花蓮にそっくりで、木瓜渓の蜿蜒と花蓮港の澎湃、更にはタロコの美しい奇岩まであるそうです。②お住まいだった吉野村郵便局を探し続ける清水さん(98)と息子の清水一也さん。
清水一也さんご家族は既に昨年家族の台湾での出生戸籍謄本を持ち帰っており、おばあさんのために用意した郵便局の模型を持ち帰るために来台。台湾は彼にとって第二の家でもあるため台日友好関係の懸け橋となることを望んでいます。③度々来台するもずっと出生戸籍謄本の申請が出来なかった吉村和就さん。
祖父の吉村佐平さんが花蓮港信用組合即ち花蓮二信の創設者の一人であり、花蓮港の開発に非常に力を入れていたとのことです。吉野圳について数多くの著作を残し現代の日本水利と経済政務に対して多くの貢献をした官僚で自身の出生戸籍謄本を持ち帰り、自身の生まれ故郷を尋ねるために来台。④竹中信子さんは近代日本女子歴史の著名な作家。
家族の出生戸籍謄本を受け取りに来ました。彼女は台湾ラムネソーダ、蘇澳製作総工場がラムネソーダを台湾に広め、台湾歴史の懐かしい味とさせた竹中家の娘です。日本に返還される前、彼女はペットと別れずにいつまでも台湾に残るため、大人に見つからないように彼女の猿を連れて山地に隠れようと試みたそうです。今回は竹中家でお手伝いをしていた使用人の娘、林愛子さんが花蓮空港での出迎へをされました。

⑤84歳の須田姉妹は、「今でもワンワン(須田家が飼っていた子犬)が私たちの後ろを追い掛けている情景を覚えているわ。その日は私達が日本へ強制帰国される日で、ワンワンに良い子にして病気をしないように。ちゃんと食べるようにと言いました。ワンワンは切なそうに私たちを見つめ、車が走り出すとワンワンは後ろをずっとずっと鳴きながら追いかけ、ワンワンの声が聞こえなくなりワンワンの影が見えなくなるまで走り続けていました……。」と懐かしそうに話します。須田さんが暇さえあれば故郷に帰ろうとするのはそこにはあまりにも多くの名残惜しい思いがあるからです。今回は姉が妹を連れて出生戸籍謄本を自ら受け取るために帰ってきました。⑥清水多美江さんは吉野村第三代・第四代村長・最後の郵便局長清水半平の娘。
父のまとめた吉野村回顧録は、移民村または吉野村の文史を研究する者たちが必ず拝読するバイブルです。清水半平が余生をもって吉野村の過去を描き出し、移民たちの記録を記す前、彼は吉野村を台湾一規模のある模範村にしようと心を尽くし、当時は日本国内で最も移住したい場所に選ばれたほどでした。当時台湾の家事使用人はよく「私達の便所は家の外にあるのに、日本人は不衛生で便所を部屋のそばに造っている。」と言っていました。彼女達は台湾人の居住する村に戻ると台湾住民たちに「もっと不衛生な家があった。大きな家ほど部屋の中にまで便所がある!」と言ったそうです。台湾女性は当時吉野村が水洗式便所とスイートルームの設備を持つまでに先進していたとは全く知らなかったのです。今回清水多美江さんは故郷を尋ね自ら出生戸籍謄本を受け取るために来台。⑦松本恰勝さんは、昨年自ら出生戸籍謄本を受け取りました。
多くは語らずいつも微笑んでいるのみですが、カメラ片手に至る所を撮影することが好きで、木の板に刻まれた文字をまじまじと見つめ「これは私の父の名前です!」と言いました。今回手術のため自ら台湾に渡って出生戸籍謄本を受け取ることが出来ない従妹に代わって従妹家族の出生戸籍謄本を持ち帰るため、娘と共に来台。⑧富永勝さん(86)は吉野村の老湾生の移民2世。
記者を引退してからの人生は、台湾の記録に没頭しました。彼の書斎の中は全て台湾に関する書籍と関連資料で埋め尽くされ、本に囲まれた小さな椅子と小さな灯りが彼の台湾研究・記録をする仕事部屋です。撮影クルースタッフはこれほど台湾を恋しく思う人がいるのかと驚き、ドキュメンタリーの監督は「実際に彼らと触れ合ってのみ体感することができ、感動を受けることができる。」と言いました。もう一度帰れると知った時、彼は嬉しそうに誰々に会いに行くんだと話し、今度会えなかったらもう次はないでしょう!と言ったそうです。しかし台湾にいる10人の友人の内1人しか見つけられず、そのおじいさんは台東で床に伏しているため花蓮に来ることは出来ません。残りの者は皆亡くなっており、中でも最も仲の良かった1人も今年亡くなられたばかりで一番仲の良かった友人のもとにお香を上げに行かれるそうです。

⑨片山千歳さんは生涯彼女の娘を探し続けた花蓮の芸子。
運命のいたずらにより、生前は台湾に遺留した娘を見つけることが出来ませんでした。娘の片山清子は生涯なぜ母は私を捨てたのかと問い続け母親を探し続けていた湾生。「もう再会することが出来ないならせめて母の遺灰」を探したいそうです。=======【追記】=======
今回の湾生帰台及び511イベント合計経費は141万元余り(約500万円弱)でしたが多くの協力者そして花蓮の方々からの沢山の篤志で実現されたそうです。。

花蓮客運張会長は、今回日本から来台する日本来賓の4泊5日の交通と、ドキュメンタリースタッフの60回余りの交通、及び湾生のプライベート旅程も含め協賛。。
天星台湾玉会長は、台日の愛がいつまでも続くようにとキャッツアイと台湾玉で製作された精巧な記念品を湾生たちに贈呈。
花蓮県政府県長ご夫妻は5月10日はシャトー・ド・シンホテルでの湾生歓迎会を開催。徐夫人が参加する国際ゾンタクラブからも三万元の協賛。そして花蓮県弱者児童看護協会からも五万元の協賛。7人乗りの公用車もご提供。
花蓮県婦女成長関心協会は三万元の協賛。曾淯菁理事長が5/12の夕食代を協賛。
台湾交通部観光局国際科は今回湾生帰台の交通宿泊費用として二十万元を協賛。
陳淑美文化局長は、演劇と宣伝美術製作として十二万元の補助。
花蓮市役所田智宣市長は自身の第二予備金を使って八万元を提供。
花蓮県政府教育所長、陳玉明所長は計五万元を協賛。
花蓮県政府観光所長蘇意舜所長は二名の日本語通訳を提供。
花蓮文化創作パークは無料で会場並びに十万元の会場ライトアップを提供。  
鳳林鎮長彭宗乾は三つの移民村の林田村の旅の手配及び5月13日夕食を提供。
花蓮シャトー・ド・シンホテルは宿泊及び朝食等を格安に提供。
花蓮伊万里日本料理、銘師傅、美兆廚房、日本全日空、台湾トランスアジア空港も、サービス価格にて今回の湾生帰台イベントを協賛。
立法委員の蕭美琴は日安協会の名で個人的に一万元を協賛。
黄振富議員は二万元を出演者とスタッフの飲食費として提供。
吉安驪山佬母慈雲宮は20箱のミネラルウォーターを提供。
遠流文化の王会長は、撮影クルーが頻繁に日本を入出して撮影を行うことからと印税六十万元を事前支払。
台北Lee Gallery、Artleeは500個の当日イベントギフトバッグと展覧協力。          以上

* 次ページは「湾生歓迎」の写真と報道記事の切り抜きです。

 *掲載記事以外にpdfで「湾生帰還」(自由時報)と竹中信子氏を通じての
「日本女人在台湾」(日治台湾生活史)というすばらしい記事もあるのですが、
掲載するには容量が大き過ぎましたので、送付ご希望の方のみとさせて頂きました。
写真もたくさん掲載されていて往時を偲ぶことができます。
*pdf送付ご希望の方は、諭吉倶楽部事務局(杉本知瑛子)までメールにてご連絡お願い致します。
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〔湾生歓迎の晩餐会とイベント模様〕                       

          歓迎会              左より:花蓮県文化局長
                              町田 健司
                              花蓮県知事婦人
                              京華日本舞学苑/鄭理事長 

花蓮空港歓迎(着物でお出迎え)             新聞記事

   
                            町田 健司(1979、法・法律卒)

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