ソフィアさんちのチルちゃんと僕(63)~天才と凡人(5-3)~

「わあ~い!蝶おじさんのアオスジアゲハだ」

「おじさんがお家のベランダで飼育していた蝶ね。元気に羽化してよかったわ。」

「蝶が蛹から大人の蝶になって大空へ飛び立つ前に、いつもおじさんの指に止まってあいさつするんだよ。」

「卵から幼虫になって・・・それから蛹になって、そしてやっと羽化して蝶になれるんだ。

おじさんの保護の下でも、鳥に食べられたり蜂などの昆虫に寄生されたり、自然界で無事に蝶となれるのは凄く少ないんだって。」

「クーちゃんよく知っているわね。」

「エッヘン!僕、おじさんとは大の仲良しなんだよ。だから何でも教えてもらえるのさ!」

「クーちゃん!あんまり威張ってひっくり返らないでね。おじさんの大切な蝶を、中川先生の応援に派遣するみたいよ。」

「凄いよ、上海まで飛んでいけるのかな?」

天才と凡人(5-3)

《3、江戸時代から明治にかけて英語のできる人間は殆どいなかった。貧しい下級武士の福澤先生が三度も洋行して世界の文明を見聞できたのは、英語に着目し習得されたゆえであった。

中川先生が28才でドイツとイタリアに行かれることができたのは、近衛家と親戚付き合いをしておられたご両親のお陰であるが、第二次世界大戦中に召集将校(最初は少尉)でありながら、いきなり南京総司令部参謀部付幕僚兼報道部の将校(支那派遣軍総司令部参謀付幕僚及び上海陸軍報道部スポークスマン)として上海での日独伊外交を遂行されたのは、“英語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、中国語が出来、かつ外国に滞在した経験がある者”という理由によるものであった。

それまでテノール歌手としてはイタリアやアメリカで活躍されていたが、総司令部参謀付幕僚として上海での日本人芸術家や芸能人、文化人、作家、等(80名位)の招聘により、先生の戦後日本での人脈は多分野に及ぶことになったのである。》

写真:宮川直遠氏撮影「手乗りアオスジアゲハ」

「ハイム蝶百科図鑑」より

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