ソフィアさんちのチルちゃんと僕(109)~交詢社とシューベルティアーデ③-6~

「慶應の同窓会の写真だね。」

「大阪慶應倶楽部の中の“中年交流会”のものよ。」

「ソフィアさんいる?小さくてわからないよ~。」

「“ハイムのひろば”の山根さんもおられるわよ。ここで山根さんと知り合って、10年近くあとに”ハイムのひろば”ができて、それを紹介され、ウェブサイトという存在に目を奪われることになるのよ。」

「わあ~、今ソフィアさんが肩を凝らしてフラフラになって運営している“ゆきちくらぶ”は、この時の出会いが無かったら存在しないんだ!」

「“ゆきちくらぶ”でもソフィアさん自身まさかまさかの連続が続いているみたい、応援しましょうね。」

「僕、い~っぱい応援するよ!」

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《6、 ミューラーの詩は単なる田園詩でありそれらは部分的諦念の作品と考えられるが、シューベルトはこの基本楽想としての諦念を(この歌曲集そのものを)部分的諦念から普遍的な全体的諦念へと導いたのである。つまりシューベルトは内面的なものを、音楽により単なる感情や情緒のみでなく観念にまで高めたのである。・・・・・・・止まれ!またまた相当な脱線である。

交詢社構想は慶応義塾の同窓会案から変化したものである。

慶應義塾(学校という結社)とは“①近世(江戸)から近代(明治)という大きな時代の流れの中で文明を新たに作り出す。②「独立自尊⇒国家独立」に象徴される近代人と近代国家への脱皮を目的とする人作りをする。”結社である。交詢社(社交クラブという結社)構想もこの大きな目的の延長線上にあったと考えられるが、しかし現代の交詢社は選ばれた紳士のための単なる「社交クラブ」となっている。

福澤諭吉の慶応義塾から交詢社に至る偉大な構想は、慶應の同窓会組織・三田会活動として現在も尚、連綿と受け継がれていると感じるのは私だけであろうか?

そしてシューベルトが「シューベルティアーデ」という彼の友人たちとの交友から受けた影響の大きさを、福澤諭吉の交詢社構想「知識交換世務諮詢」と重ね合わせてしまっている自分自身を思わずにはいられない。

(完)》

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