ソフィアさんちのチルちゃんと僕(103)~交詢社とシューベルティアーデ(2-5)

「わあ、きれいな景色だ。きっとこれが楽園なんだ。」

「春になって、夏になって、秋になって、そうして冷たい冬になるんだから、春や夏の楽園は冬に思い出したら幻想のようなものだってことだろ?」

「クーちゃん、なんて賢いの?こんなに小さい子猫でも分かるなんて!人間ならきっとそれが心の中の旅路と同じようなものだと分かるはずよ。ロマン主義思想とか内面世界とか難しい言葉は必要ないわ。私達は自然界の四季、そして心の中の四季を素直に感じさえすればいいのよ。」

「だったら楽勝だよ!まずはきれいな春を堪能しよう!」

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《ソフィアさんちのチルちゃんと僕2-5》

《5、『美しき水車小屋の娘』では、伴奏はロマン主義的風景の動き、つまり“せせらぎ”や“流れ”などは多様な分散和音と具象的な運動音型によって表現されていたのであるが、『冬の旅』では、ロマン主義的和声法といわれている、「大胆な転調」や「異名同音」による転換などにより、より内面世界と自然が一つになり、動きの少ない単純な曲でありながらそこに内在させる複雑さは驚くほどのものがある。

しかしそれだけであろうか?一見、連続的な物語性のない24曲を『冬の旅』と題して一つの“うたものがたり”としなければならなかった必然性はいったいどこにあるのか?

シューベルトが友人・知人達から受けた影響の説明が中途半端となってしまった。

『冬の旅』から読み取れる哲学性、そして現実の政治事件など次回もう少し述べさせて頂こうと思う。》

(続)

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