天川 貴之(32)~〔哲学随想2〕「大自然の叡智界と瞑合すること」~43号

【哲学随想(2)

大自然の叡智界と瞑合すること

                                                            天川 貴之(91.法 卒)

大自然の中に生かされている人間は、永遠を観ずることが出来る。また、神秘を観ずることが出来る。この永遠というものをつきつめて考えてみれば、それが自然の摂理であり、宇宙の摂理であり、法則性であるということが分かる。

我々の人生というものは、大宇宙の摂理の中で様々に彩られている輝く星のような存在である。我々人間は、一度、大自然について想いを巡らせる時期、自己の魂がどこまでも高く飛翔してゆくことに気づく。このように、永遠を観じせしめる母体が、大自然の中にはもともと存在するのである。

人生の中で、どのような束縛に縛られ、時に苦しみや悲しみに苛まれようとも、人間の精神を限りなく永遠の世界へと飛翔させてゆく力が自然にある。いや、自然にあるというよりも、自然を再発見し、再創造した、詩人や思想家や哲学者達の文章の中に、それは、より一層、特徴的に顕れているのではないかと思われる。自然の中に永遠の真理を発見できる方は、人生の中にも永遠の真理を発見出来る方なのであろう。

人生の真実の姿は、時には過酷に観えることもあるであろう。しかし、その時間を節のようにして透過して、再び大自然の永遠と神秘と真理と象徴の美を発見した時には、本来の真姿を取り戻したかのように、雄大で格調高い調べの世界に出るのである。

叡智界というものは、大自然の営みの内に刻印された人間の精神性の芸術であり、思想であり、哲学であり、宗教であり、理念であるものである。叡智界の美しさは、地上の宝石よりも遥かに美しく思われる、調和のとれた荘厳な世界であるのである。このような叡智界に飛翔し、自らも叡智界の創造に参画する時期、我々人間は、今生きている生そのものに深く感動を覚える。永遠の至福の世界が、そこに営まれているのである。

大自然というものは、本来、この叡智界が展開したものであって、叡智界がその本質にあるものである。故に、深く大自然を観じてゆけば、そこに永遠不滅の浄土が顕れるのである。浄土は、彼の国(あの世)にだけあるのではなく、此の国(この世)にも発見され、創造されてゆくものであるように思われる。

一度、叡智界の美しさを観てしまうと、それは、ただの現象でしかない美しさとは全く異なるというのが分かる。現象世界そのものの奥なる本質に叡智界は潜んでおり、これを発見すること、そして、創造することによって叡智界を観想し、働きかけることが出来たならば、人間は何倍も雄大で格調高い実在になりうるのである。

人間は様々なものにあこがれるが、物事の皮表な所だけを観ていてはならない。常にその本質にあるものを追究してゆかなくてはならない。人間は、奥深く探究してゆけば、無限の精神性を発揮出来るのである。

精神界の王者となることは、哲学者は当然のこと、思想家も芸術家も宗教家も目差さなくてはならないことである。それに比べたら、現象世界にあるものは、仮の姿、夢幻のごときものであるように思われる。故に、精神界の王者とは、その方独自の叡智界を持っている方のことをいうのである。

叡智界を、現実の人生の中に、現実の大自然の中に発見し、創造出来る方にとっては、生きながらにして叡智界に住んでいるようなものである。叡智界に住んでいることこそが実在であって、その他のことは、仮の姿にすぎないのかもしれない。

本来の叡智界に飛翔することを導きつづける方が、精神界には必要であり、地上界には必要であり、我々は、彼らの精神の輝きを通して永遠を知り、神秘と合一し、新たな人間性を獲得し、神人合一の境涯に到達してゆくのである。

大自然の中に本来実在している精神は、何と唯物的ではなく、深い精神性を放っていることであろうか。叡智界の美しさに目覚めるためには、ほんのささやかな投資でよいのである。万人にその道は開かれているのであって、地上の地位は何の関係もないのである。

このような自己独自の叡智界を有していることが哲人の証であるが、これは、本来、万人が開拓可能な世界であるといえるのである。大自然を真に見た真人にとっては、そこに一大精神世界そのものが観えるのである。

我々が自然と呼んでいるものも、実は精神的現象であって、心の顕われである。自然は、理念であり、実在であり、道である。エマソンやルソーが自然について瞑想しているのは、それは、実は叡智界そのものであろう。エマソンの論文を読めば、自然というものについて述べていても、結局の所、叡智界が述べられていることが分かる。叡智界こそが、大自然の本質であるのであり、人間精神の本質であるのである。

我々人間は、叡智界の美しさに接していれば、永遠なるもの、神秘なるものへと精神が飛翔してゆく。そして、自らの内なる叡智界の創造性が活発となり、新たな叡智を観想し、創造してゆく時期、大自然の本質的生命と合一している自己を見出すのである。大宇宙の真理が、そこに象徴されているのである。

(JDR総合研究所・代表 天川貴之)

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