杉本4)今も『福翁自伝』の検証は必要か・・・(4号)

今も『福翁自伝』の検証は必要か

                             杉本 知瑛子(H.9 文・美学卒)

諭吉倶楽部では今読書会で『福翁自伝』を読んでいる。

『福翁自伝』は福澤の人生と思想が明快な口語文で書かれた読み易いものであるが、私にとってまだまだ字面を読んでいくだけで、深く読み込むというまでには程遠い。たとえ現代語の訳本であっても今は書いてあることをそのまま、福澤の言葉として信じるだけである。

しかし、この『福翁自伝』を福澤自身が書いたからと言って、全て真実と考えていいのだろうか?

Vincennzo Bellini(1801~1835)というイタリアの歌劇作曲家がいる。

彼は34年間の短い生涯で、『夢遊病の女』『ノルマ』『清教徒』などベル・カントの伝統を生かした

有名なオペラ作品を残しているが、また歌曲も多く残している。

そのベッリーニの歌曲集の中に「Vaga Luna」(優雅な月よ)という静かな美しい曲がある。

彼はその曲を作曲するのに、故郷シチリアの古い子守唄の旋律を用いたと彼の自伝で述べている。このことは、多少音楽史的知識を持っている声楽家なら周知のことであり、先生方はレッスンの際ご自分の弟子達にもそのように説明されている筈である。

「作曲者ベッリーニ自身が彼の自伝に記載していることだから間違いはない」

もちろんこの説明に反論なぞする方は何方もおられないであろう。

しかし事実は違った。彼がシチリアの子守唄と思っていた旋律は、古代フェニキアの舟歌であったことが、(当時の)ローマ市長の研究によって判明したということを、故中川牧三先生(元日本イタリア協会会長:当時関西日本イタリア音楽協会会長)から教えて頂いた。

30年以上も前の話である。先生との雑談であったので気軽に伺っていて、当時のローマ市長の

お名前は忘れてしまったが、これまで並み居る著名な音楽学者でも調べられなかったことを、何故門外漢のローマ市長にそのような研究が出来たのか?あまりに不思議で、先生に次から次へと質問を投げかけたことだけは良く覚えている。

①ローマ市長の発言の専門的信憑性についての質問への(中川先生の)お答え

*ヨーロッパなどの高級官僚は自国文化について造詣が深く、趣味として専門家に負けないくらいの研究をされている方が多くおられるとのこと。(特に郷土史は多いらしい)

日本人が外国文化ばかりを学び、有識者として外国人と友人になろうとするのとは、逆の考え方らしい。自国の伝統や文化についての知識とそれについて説明できることが、歴史あるヨーロッパでは、まず一番大切なことなのだと先生から教えられた。それがトップ外交の基本だそうである。

それでローマ市長はイタリア郷土史や音楽史の研究もされておられたということであった。

②今まで誰も目にしたことの無い資料を何処で見つけられたのか?という疑問へのお答え

*その資料(古代フェニキアの楽譜のような物?=発掘された碑文?)は、バチカンの宝物殿に存在したそうである。日本で言えば正倉院のような場所なのであろうか、その宝物殿はたとえどのように高名な研究者といえど、一般人は誰も中へは入れないとのことであった。

当然、学者などによる資料の調査など夢のまた夢であったそうである。

ローマ市長はどのような手段で、宝物殿の資料を見られたのか定かではないが(この点に関してはお話しされていない)、宝物殿の中にあった古代フェニキアの資料を見て「Vaga Luna」がフェニキアの舟歌であったことを、ローマ市長は見つけられたのである。

③どういった状況での発表だったのか?という疑問へのお答え

*世界的に有名な声楽の国際コンクールに於いて、ローマでのレセプション会場での話(発表)。

ローマ市長の隣席におられた中川先生とローマ市長との話で、市長はその席で先生を初め世界的に著名なコンクール審査員の方々に対し、ご自分の研究成果を発表されたそうである。

(もちろん学会発表ではないが、冗談を言えるような雰囲気でも場所でもなかったそうである)

話は変わる。昔ピアノの公開レッスンを聞きにいったことがあった。

相当な権威者(多分ウイーン国立音楽院院長であったか?)のレッスンだったので、会場も立派だったしレッスン受講者も皆優秀な新進ピアニストの方々であった。ホールは聴衆で満員であった。

しかし、先生は最後の受講者(受講者の中では一番立派な経歴の持ち主=東京芸大ピアノ科卒、東京芸大大学院ピアノ専攻修了、某有名音大ピアノ科講師)へのピアノ指導を拒否された。

先生は話された。「貴女の使用している楽譜は本来使用しなければならない楽譜(原書)ではない。この本(日本版)で勉強した人が、どんなに誠実に研究に取り組んだとしても作曲家の意図した音楽にはならない。だから私としてはこの方の演奏に助言を与えることはできない。この方もこの方の先生も基本中の基本を弁えるべきです。せっかくですのでどうぞ演奏だけはなさってください」

その言葉を聴いた聴衆は皆凍りついてしまった。

原書使用の遵守については、私は大阪芸大で五十嵐喜芳先生にたたきこまれていた。五十嵐先生の生徒は学内で2名だけだったが(当時、他の全ての学生も先生方も皆日本版の楽譜を使っていた)、五十嵐先生の生徒だけは原書と日本版(先生に隠れて)の両方を持っていた(日本版は歌詞などの参考のため)。この日本版が、フレージングを初め歌詞も意訳であり内容が相当デタラメなのである。原書を使うと、ドイツ語でもイタリア語でも自分で訳さなくては安心して歌えず面倒であったが、楽譜に書かれている作曲者の意図が明確に理解できることは確かであった。          (日本版楽譜の歌詞解説に関しては、現在では直訳になって出版されているものが多い)

現在、『福翁自伝』でも現代語訳(多くは解釈付き)が多く出版されている。

現代語訳である限り、訳者の私的見解も多少加わらざるを得ないであろうし、現代語訳でこと足れりと考える我々は、そのような様々な訳書や高名な方々の発言による、作られてゆく福澤像を信じざるをえなくなる。戦後教育を受けた我々にとって、現代語訳はなくてはならない教科書であるが、それのみに頼ることは訳者の見解を福澤の説と勘違いする危険性も存在するのではないだろうか。

~『学問のすすめ』はこの頃は現代語訳が出回っていますが、やはり原文と読み合わせてみないと、福澤の精神がよく伝わって来ないと思われます。『福翁自伝』は読みやすいので、皆さんお読みでしょうけれど、これも、ただパラパラ読み飛ばすだけでなくて、よく読み込んでみると、福澤の姿がだんだん見えてくるでしょう。~            (服部禮次郎会長の手紙より抜粋)

自伝であれ(「Vaga luna」級の検証は無理でも)出来うる限りの検証への態度は必要であろう。

そして「原書使用は基本中の基本」と受講生に諭されたマエストロと、『学問のすすめ』に於いて原文との読み合わせの必要性をご助言くださった服部会長の教えに、同じ日本語だからと、安易に流れ、忘れかけていた「原書(原文)使用の取り組み」という基本中の基本の大切さを、改めて肝に銘じなければという思いに、今、冷や汗を流している。      (2012,9,3)

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