シューベルト~その深遠なる歌曲の世界~4-①・・・35号

 「Schubert~その深遠なる歌曲の世界~」(4-1)

杉本知瑛子(97、文・美(音楽)卒)

『冬の旅』
『冬の旅』“Winterreise”、(op.89,D.911)は、シューベルトの死の一年前1827年2月~10月の間に作曲された24曲からなる、連歌集(うたものがたり)である。

シューベルトが『冬の旅』ほど推敲を重ね、変更を加えた作品は少ないが、それゆえに、ここにはシューベルトの歌曲のすべてが見出せる、といって過言ではない。

シューベルトが、この作品を短期間にどれほどの緊張をもって書き下ろしたのかは、シュパウンの報告〔「記録」1858年〕からもよくわかる。

“・・・・・彼は「今日、ショーバーのところに来ておくれ。君達に恐ろしい歌曲集を歌って聞かせたいのだ。君達がそれをどう言うか、とても楽しみだ。この曲は、他のどのリートよりも、ずっと苦しんだのだ」、と言った。・・・・・シューベルトは「僕は、この歌曲集が、他のどの曲よりも気にいっている。君達もじきに気に入ってくれるだろう。」と言った。”

シューベルトが、これだけ精神を注ぎ込んだ『冬の旅』とは、どのような物語であろうか?

先ず最初に、この「うたものがたり」の歌詩(単なる歌詞という言葉でなく歌詩を使用した。)
について述べてみることにする。

『冬の旅』はドイツの詩人、ヴィルヘルム・ミューラー(Wilhelm Mueller,1794~1827)によって書かれた詩である。
シューベルトが、『冬の旅』前半の12の詩を見つけたのは、1823年にライプツィヒで出版された『ウラニーア』という名の年鑑であった。

1827年の晩夏、前半の12曲が完成された後、シューベルトは、詩集の第2部としての『旅する角笛吹きの遺稿詩集』“Gedichten aus den hinterlassenen Papieren eines reisenden waldhornisten”
の中に、ミューラーの、このチクルスの完全なテキストを見つけた。
しかし、まだ作曲されていなかった残りの12の詩は、続きとして順序付けられてはおらず、方々に、散らばっていたものを、新しく並べ替えたものである。
“1~5、13、6~8、14~21、9~10、23、11~12、22、24、”
これは、シューベルトが入手したとおりに作曲したものであるが、『美しき水車小屋の娘』と違い、今回は詩を全く省略せず、全てを作曲している。

シューベルト自身の発言によって、彼にとって、本来愉快な音楽などは存在しない、ということは分かっているが、その彼ですら、以前にこれほど苦悩を扱った変奏の連続を作曲したことはなかった。
シューベルトにとって『冬の旅』は、死の景色の中の旅であった。

では、シューベルトがこの「苦悩」の連続となる歌詩にどのような音楽を与えたか、について述べていきたいと思う。
シューベルトは、『冬の旅』において、今までの曲以上に単純さを保っている。この単純さが極度に主観的なこの曲の感傷を避けていると考えられる、が、また彼は音楽的着想をモチーフとして繰り返し使うということは全く行っていない。
しかし、一曲一曲の状況は、非感傷的に結び合わされており、それらは新たな絶望の都度、予期しない絶望との対決を迫ってくる。『冬の旅』は、全体が高度な統一をもった楽想で一貫されている。
各曲を結び付けているその楽想は、内的なもの・心理的なものの中にあると考えられる。
それでは、それを表現する為にシューベルトがどのように作曲を工夫したか探っていくことにする。

1)伴奏の型

『冬の旅』の伴奏は、この「うたものがたり」の重要な要素をなしている。
伴奏楽器であるピアノは、しばしば魂を持つものとして考えられた自然を描写する。
これは、人間の内面世界の象徴として、または、その根源と本質において、人間の内面世界と親しく近いものとして理解することができる。
こういった自然に対する考え方は、ロマン主義思想の特徴であり、自然の根底に精神と同一なるものの存在を認める、シェリングの一元論や、スピノザの影響を受けたゲーテなどど同じ立場であると考えることができる。

『美しき水車小屋の娘』では、伴奏はロマン主義的風景の動き、つまり、せせらぎや流れ、などは多様な分散和音と具象的な運動音型によって表現されていたのであるが、『冬の旅』では、ロマン主義的和声法といわれている、大胆な転調や異名同音による転換などにより、より内面世界と自然が一つになり、動きの少ない単純な曲でありながら、そこに内在させる複雑さは驚くほどである。

「ロマン主義の思考と生活感情において、旅が中心的意味をもつように、旅の歌の旋律型もロマン主義のリート作曲にとって本質的なものである。シューベルトは、アルマンドの基本リズム(偶数拍子、多くは2/4拍子で、頭拍<アウフタクト>を伴う)を、多数リートに取り入れている。」
と、ヴィオーラ教授が述べているように、旅における歩みの種類も多様であり、『冬の旅』では、ゆっくりと疲れきって身体を引きずる歩みや、力なくよろめくような歩みに、主人公の心的風景を重ねている。

“『美しき水車小屋の娘』第一曲と『冬の旅』第一曲は、どちらもさすらいの足取りのリズムで書かれているが、元気のいい溌剌とした歩みと、疲れきって力無く身体を引きずるような歩み、とでは全く対照的である。

 2)象徴
『冬の旅』は、冬の霜と氷によって象徴される、次第に凍りついてゆく心象風景の中での不幸な男のさすらいの曲である。

『冬の旅』の曲中には、至るところで象徴が使用されている。
自然の事物や事象、すなわち、流れる水、嵐、舞う光、太陽、さらに民衆音楽まで、象徴として使われている。

*第7曲『川の上で』では、詩節の言葉そのものが、一つの言語になっている。

Mein Herz,in diesem Bache               僕の心よ、この小川に
Erkennst du nun dein Bild?     お前は今僕の姿をみとめるか?

つまり、固い凍った氷にすっぽりと覆われた小川(歌詩の訳:一部分)=凍った川=僕の姿である。
シューベルトは、冒頭の旋律と同じ旋律を中間部の伴奏で使用し、現実の自分の姿(歌部分)と凍った川として象徴される自分の姿(伴奏部分)を、みごとに対比させて表現している。こういった手法は、ベッリーニやヴェルディのオペラなどでよく使われているが、シューベルトはリートで、こういった手法を使っているのである。

*第20曲『道しるべ』では、シューベルトは旋律を抽象的な音反復に還元している。
この音反復も一つの象徴として考えることができる。

“ひとつの道しるべが、目の前にじっと動かずに立っている。いまだかつて戻ってきた者のない
道を、僕は行かなければならないのだ。”

ここでの音反復は、もちろん歩みのリズムであり、死への道を行く自分自身の象徴であると考えられるのである。
~続く~
(元声楽研究家:杉本知瑛子ピアノ声楽研究所)

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