シューベルト~その深遠なる歌曲の世界~3-③・・・(33号)

「Schubert~その深遠なる歌曲の世界~」(3-3)

                     杉本知瑛子(97、文・美(音楽)卒)

 *ドイツの思想
 カントに代表される啓蒙時代とは、理性に寄せる信頼が人類の未来に対する無限の進歩への期待となって結実し、道徳、宗教、思想、文化、教育、経済、国家、等あらゆる分野に亘り合理主義的理念を貫徹していった時代のことである。
このような運動を通して近代ブルジョワ的自由市民は、自らを無制約的な自由の主体として理念的な自覚に達すると共に、またその反動として、感情、意志、信仰、民族、文化、歴史、等非合理的なものの権利を主張することによって、合理主義に対する懐疑的批判的立場をも生み出していった。

 特に18世紀末、シュトルム・ウント・ドラング時代の後をうけて、感情や信仰や歴史的伝統等、非合理的なものの権利を高らかに謳歌するロマンチシズムの運動が、啓蒙的合理主義に対する反動として高まりをみせた。
 
 哲学においても、スピノザの哲学がギリシア的汎神論と結びついて多くの支持を受け、歴史哲学者でもあるヘルダーは、カントのように感性と悟性との区別や、美を真と善とから区別することは、いずれも人為的意図的な仮構に過ぎず、むしろ自然の至る所に神的諸力の活動を体験し、スピノザの神即自然を自然的感情によって直観することにこそ、人間性における最高の悦びと本質があるといっている。
 
 ゲーテ、フィヒテを初め、シラー、シュレーゲル兄弟、ノヴァーリス、ティーク等、当時興隆しつつあったロマン主義者達との交遊によって、自然哲学を美的世界観、乃至、神秘主義と密接に連関させながら、次第にロマン主義運動の理論的指導者としての地位を確立していったシェリングは、フィヒテの知識学をもって自らの哲学の出発点とした。

 無限に非我を克服してゆくフィヒテの絶対自我は、主観的な理想に情熱をかけようとしていたシュトルム・ウント・ドラング時代の人達を歓喜させることは出来たが、だが反面、外なる自然と内なる自由とに共感しながら、生きた自然の統一的理想を求めていた、当時の古典派およびロマン派の自然感情にとっては、自然が単に自我によって克服されるだけの消極的な存在意味しか持ち得ない、と考えることは耐えられなかったのである。

自然は自我と同じく、それ自身においてあるものであり、その本質において自我と同一である。
それは自我そのものの先験的過去、自我の低次元的勢位であり、自我はその根源的な相においては自我ではなく、かえって自然なのである。そして、自我と非我との根底に共通な無限者が存在するということの直感から、自然そのものが分極的対立を統一している絶対同一としての自体存在であると考えるシェリングは、このようにスピノザやブルーノの自然観を全面的に取り入れた、彼独自の自然哲学を展開していった。

 シェリングにおける、分極性の対立概念(物質の本質である斥力と引力、磁気ではS極とN極、電気では陽電気と陰電気との分極的対立)は、自然を哲学する当時のロマン主義哲学者達の基本原理であった。

 シェリングは、また芸術的表現の最高のものは象徴的表現であると考えた。
象徴とは、普遍と特殊との絶対的無差別である絶対者を、特殊の内に表現する唯一可能な方法である。それは、図式的(悟性的思推)と比喩的(行為)という二つの表現法を統一させるものでもあった。

以上、シューベルトの時代の思想(哲学)を簡単に述べたが、文学の世界での大きな思想の嵐も簡単に述べておきたいと思う。

 18世紀中頃、フランス啓蒙思想がドイツ精神界のエリート達に伝わり、それが民族精神に根ざした市民階級の開放運動(ドイツ啓蒙主義)である、シュトルム・ウント・ドラングの運動になったのである。
シュトルム・ウント・ドラングは、レッシングやヘルダーや若きゲーテなどにより文学革命の形をとり、ゲーテの「死して生きよ!」(Stirb und Werde)を合言葉に、『若きヴェルターの悩み』(ゲーテ作)などのような主情主義文学作品を多く生み出していった。
シュトルム・ウント・ドラングの特徴は、形式の度外視と感情のほとばしりを重視し、理想と現実の葛藤において、理想は現実に勝てるものではないといった種の、悲劇的世界観である。

 1786~88年、ゲーテはイタリアに旅をした。そこでゲーテは南欧の明るい風光とイタリアルネサンス文化から鮮烈な印象を受け、真善美が調和して生み出す安定した形式に心を引かれた。
シュトルム・ウント・ドラングの怒りに満ちた個人の激情にとってかわり、全人類的な、普遍的な調和美が、新しい目標となった。
シラーもギリシア・ローマの文芸を熱心に研究し、二人はワイマールで、古典主義のドイツ文学の大成に努力した。

 ゲーテは人間の個人的な意志を超越する自然の秩序があると信じ、彼等は新しい生物学的な見方を持っていた。生物の世界ではすべてが有機的なつながりを持つ。そのような有機体についての理論が人間の精神にも応用され、小説は環境や経験に刺激されながら主人公が内面的に成長するさまを描くべきものと考えられた。

 またゲーテ時代のドイツは、新旧を含めて外国のあらゆる思想を受け入れ、手の届く一切の文学に関心をしめしている。ドイツで生産された翻訳の数と優秀さは、外国の名作に対して示された関心の充分な証しである。そしてこのような状態というのは、要するにドイツの国民的様式の欠如と表裏一体の関係にあると考えられる。

 田園小説や郷土芸術において開拓され、またこれより何世紀も前にすでに民話や民謡の中に現れているドイツ文化の豊かさと多様さは明らかであるが、これはドイツの地域的分立主義の産物であり、ロマン派運動がこれを引き継ぐのである。
 
 ロマン主義は、基本的には18世紀の楽天的な合理主義への反動であったが、フランス革命に続くヨーロッパ大陸での激動の歴史の中で、世界を苦痛と感じ、その苦痛から脱出するために、自分自身の内側の世界を深く掘り下げようとする傾向が生じた。ロマン主義時代の詩人・作家たちは、非合理的な幻想と神秘の領域に分け入ろうとした。
ドイツはドイツの名で呼ぶことのできる国家のないままに、動乱の時代が推移していたのである。

 シューベルトの友人達は、このような精神世界で生きていたのである。シューベルトは友人達から、また多くの書物から、このような思想の影響を受けたと考えざるを得ないのである。

 ちなみに、シューベルトの歌曲は約600曲、その内シラーの詩に45曲、ゲーテの詩に70曲以上も作曲している。
特にゲーテの詩に対する執着は強く、一つの詩で数曲残存している数は、16詩に及ぶ。
これによりゲーテからは、最も強い影響を受けたと推測することができるのである。
                                      (続)

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