シューベルト~その深遠なる歌曲の世界~2-② ・・・(28号)

杉本知瑛子(97、文・美(音楽)卒)

移調での演奏から生じた様々な疑問、そこから古典音律(ウェルテンペラメント)といわれている調律法があり、それもヨーロッパでは平均律として調律されていたという事実を発見するに至ったことは衝撃であった。
それもこれも平均律であるなら一体何が問題なのか!
簡単にさっと説明しようとすれば、ピアノを演奏して聴いていただくのが一番なのだが、生憎パソコンの文書から音は出ない。もし音がでるように出来てもデジタルピアノでの演奏のように、たいした違いは聞き取れないであろう。
今回は機械的に12等分した現代日本の平均律と、代表的な古典音律の差が分かりやすいよう、数字表を掲載して比較できるようにした。

《全音階的音階の音高に関する各調律法の比較》
*音階(数字はセント値)

音名       ハ(C)  ニ(D)  ホ(E)  ヘ(F)  ト(G)  イ(A)  ロ(H)  ハ(C)
平均律(12等分)  0   200 400 500 700 900 1100 1200
純正律(ハ長調)  0   204 386 498 702 884 1088 1200
同(イ短調自然短音階) 0 182 386 498 702 884 1088 1200
ミーン・トーン   0 193 386 503 697 890 1083 1200
ピタゴラス      0 204 408 498 702 906 1110 1200
ヴェルクマイスター
(ハ長調) 0 192 390 498 696 888 1092 1200
(嬰ハ長調 移動ド)0    204 408 498 702 906 1110 1200
キルンベルガーⅢ
(ハ長調) 0 193 386 498 697 890 1088 1200
(嬰ハ長調 移動ド) 0 204 408 500 702 906 1110 1200
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あまり数字ばかり並べても疲れるので、主要な音程の数字は次回に記載することにする。

また、聞き慣れない言葉ばかりが出てきて意味が分からなくなる文もあるかと思うので、音大卒業生でもさっぱり分からない内容にならないよう、次回またはその次に各種調律法の変遷についても参考程度に記載するつもりである。
これら古典音律についての資料は、『ゼロ・ビートの再発見』(平島達司著、1987、東京音楽社)を参考にして記述している。

この無機的な数字の羅列がシューベルトと一体どんな関わりがあるのか・・・

シューベルトの最高傑作『冬の旅』だけを見ても、一つの歌詞にどれだけ違った調子で作曲していたか、シューベルトが調子にこだわっていたことがよくわかる事例はたくさんある。
また、彼は微妙な感情表現に転調を凄まじく多用している。
そういった調子による想念の表現を現代で理解するには、やはりシューベルトが使っていた音律(調律法)で調整されたピアノで聴かなければ、それらは全く別の曲となりかねない。
ピアノとはそういった楽器なのである。
演奏家により音色や共鳴や音高などを微妙に変化させることのできる、人体という楽器に比べ、
ピアノは一度調律されれば、調律のやり直しをしない限り高さが一定である、という楽器である。
その楽器を伴奏として歌曲は演奏されるのである。
ゆえに、現代において当時の音高に再現されているかどうかは、大きな問題となってくる筈である。

古い時代の音楽は、先ずその時代の楽器をその時代の音律で調律し、その時代の奏法で演奏することが出発点になるのでなければならない。(注1)
たとえば、ヘンデルのミーン・トーン音律やバッハのヴェルクマイスター音律の使用などである。
(シューベルトが使っていた時代のピアノの音律は何かということになるのであるが、それは、平島達司氏の研究により、ヴェルクマイスター音律と推定することができる。)
そして、それが現代の12等分平均律とどのように異なるのか、それを数字によって記載したのが前述の表である。
この音階表で、わずかな音程でもそれぞれの調律法によって違ってくるということは理解できても、それが人間の耳で聞き取れるほどのものかどうか、興味のある方は想像を逞しくして頂きたい。
分かりやすい説明は、以下の参考資料でしたつもりなので、それを再掲載させていただいた。
(注1)
その時代の楽器や奏法で演奏するとはいっても、古い音楽(クラシックといわれている音楽)は、現代までにおける各時代での名演奏家などによる一般的に広まった奏法があり、そういう伝統芸術は古い時代だけに目を向けるのではなく、(奏法などは各時代の奏法の上に)現代における古い時代の音楽を考え演奏すべきである。
世界の演奏関係者は、おおむねこのような立場に立って演奏していると考えられるが、ピアノ伴奏つきの歌曲では古典音律を特に意識して演奏されることは滅多にないといえるのである。 (続)
杉本知瑛子(97、文・美(音楽)卒)

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《参考資料》(1)

「前回掲載資料「雑談とは何か?」よりの抜粋文」
杉本知瑛子(H.9、文・美 卒)
~某大学卒業後、ピアノの武井博子先生(大芸大教授:ピアノ)とは、レッスン後いつもおしゃべり(雑談)を楽しんでいた。
ピアノ曲では移調演奏をすることがないが、声楽の場合よく移調で演奏を命じられる。特に東京二期会の森敏孝先生は、少しでも派手に目立つようにと、イタリア歌曲ではご自分がそうされるように、音を高く移調させて歌わされる。
移調させられるとなぜか音楽の雰囲気が変わるのである。それが素晴らしくなる場合と、曲が要求している雰囲気には合わず大変歌いにくくなる場合とがあった。
平均律では移調によって音楽の雰囲気は変わらないはずであるのに、私の身体はおかしいと言う。
故中川牧三先生(日本イタリア協会会長)のところでは、オペラばかりのレッスンだから移調演奏することはなかったし、歌曲での移調演奏でも何も問題は生じていなかった。
それで、きっと東京(森先生宅)まで行くのに疲れて体が響かないのだと、自分の技量不足と考えていた。
そんな話も雑談の中で武井先生に話していた。
「ブリーゲン先生(音楽学者)のお弟子さんが卒論で古典音律について書いていましたけれど、
杉本さんの役に立つのではないですか。」ある日そう言われ、ご自分が卒論指導をされた学生の参考文献の話をされた。
それが『ゼロ・ビートの再発見』(平島達司著)という貴重な本だったのである。
ブリーゲン先生と平島先生はご友人だったので、そういう書物の情報が武井先生の手に入ったのである。その、ピアノレッスンとは関係のない情報をいち早く私に話して下さったのは、普段の雑談の賜物である。
その書物により長い間かかえていた問題点が、次々と解明されていった。
もちろん、その本に書かれてあることを、実際に自分のピアノで再現するためには、古典音律の理論を理解し、それらの調律調整ができる調律師の存在が不可欠である。
調律師を捜すのに5~6年はかかった。
その間にデジタルピアノで音律変換機能が付いた製品が出来、楽器社の方が、試弾用(無期限)にとその新製品を自宅に持ってきてくださった。そのピアノでは音律での曲の変化はあまり感じなかった。
本から受けたイメージとデジタルピアノの音(響き)では全く印象が異なった。がっかりした。
そしてその後、長期間ドイツに調律留学していたカワイ楽器中央研究所の調律師の方を紹介され、その方に理論の解説を受けながら、自宅のピアノをヴェルクマイスター音律に調律して頂くことができた。(ヨーロッパでは日本で言う古典音律は、平均律として調律されているそうであった。)
調律されたグランドピアノの音は、共鳴の関係かデジタルでの音とは全く異なる響きであった。
私が手に入れたその書物は、その後長い間絶版となり、幻の名著として楽器社の方々が捜しまわっておられたのを覚えている。
古典音律(ウェルテンペラメント)で調律したピアノでのシューベルトの歌曲は特にすばらしい。
シューベルトのピアノ曲アンプロンプテュ(即興曲)Op.90 D.V.899 No.3 Andante では曲の調子記号は♭が6つついている(変ト長調)。
だが当時そんな難しそうな楽譜は売れないと判断した出版社は、移調して♯1つの調子記号(ト長調)に変えて出版した。しかし近年、シューベルトの自筆楽譜が発見されたため、現在では原曲に従い変ト長調で出版されている。
しかしその変化の再現は、シューベルトが使っていたと考えられているヴェルクマイスター音律に調律されたピアノでなければ不可能である。
過去、自宅で開催してきた「ミニミニコンサート」では毎回その曲も演奏するが、その2曲の雰囲気の違いに皆さん息を呑まれていた。
ヴェルクマイスター音律は調子記号による調性感をはっきり表出する音律である。
それに比べ、響きの全てがわずかに不協和を生じる、平均律(1オクターブを12等分する日本の平均律)は調性的にモノクロである。
自然の共鳴に基づいた音律と1オクターブを機械的に12等分した音律では、これらは全く異質なものと考えるべきであろうと思う。
~らしき曲は再現できても、~らしき曲はシューベルトの想念から生まれた曲ではないのである。

とまれ! 又脱線してしまった。しかしこれが雑談のいいところである。
雑談を役に立たない無駄話ではなく様々な談話と考えて、私の持つわずかな知識と体験から、私の知る世界の話をこの場で話していきたいと思う。
ここは福澤諭吉研究会「諭吉倶楽部」会報の場である。
しかし、福澤諭吉先生に関しての知識習得はこれからであり、知的交流の場としての発表は私に関しては、極めて拙い内容になると考えられる。
それなら、大学卒業後も数十年研究を重ねてきた音楽の話のほうが、人の役に立つのではないか。
書物と体験と、中川牧三、五十嵐喜芳、森敏孝、大橋国一、マリオ・デル・モナコ、ジュリエッタ・シミオナート、マエストロ・ファバレット、等、多くの音楽の歴史を体現されてきた先生方からのレッスン受講体験。
中でもレッスン終了後、よく何時間も雑談をしてくださった中川牧三先生。
その雲の上の方との貴重な会話の数々、そしてそこからまだ日本では確立されていない美学の必要性を感じさせていただいた幸せ。
いまのところ、福澤諭吉先生に関しての研究発表はまだできないが、私にとっての実学、そして私にとって独立自尊の精神の象徴でもある、その音楽の研究を雑談としてこの場で発表することは、許されるのではないだろうか。
(「諭吉倶楽部会報第1号」掲載文より抜粋)

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《参考資料》(2)
「定説への疑問! ~時事新報社説と古典音律~」
杉本 知瑛子(H9,文・美学卒)
前号の会報で、私は音楽の古典音律のウェル・テンペラメントに少し触れた。
西洋音楽はギリシア時代からあり、音律も純正律、ピタゴラス音律、ミーン・トーン音律、ウェル・テンペラメント(古典音律の一種)、平均律(12等分平均律)、と時代によって変遷してきた。
前回少し触れたのは、日本では平均律(12等分平均律)とウェル・テンペラメントがごっちゃになり、ウェル・テンペラメントの存在が認識されずにきたということの話であった。
現代の西洋では“平均律”という言葉の中に、日本で言う平均律(12等分平均律)とウェル・テンペラメントが存在する。(機械的に12等分された平均律と自然倍音の原理に従った古典音律=平均律)
平均律にいくつもの種類が存在するのである。
しかるに、日本では最近まで12等分平均率しか認められなかった。ウェル・テンペラメントという言葉さえ存在しなかった。一時は幻の名著となった『ゼロ・ビートの再発見』の著者、平島達司先生は日本の音楽学界では、異端の徒でしかなかった。
日本の殆どの音楽学者は古代から多様な音律が存在することを知っていても、平均律に種類があるとは思いもよらないことであったのである。
(ヨーロッパでは古典音律の一種であるウェル・テンペラメントを平均律の一種として調律している) ウェル・テンペラメントを12等分平均律と同じものと間違えたのは、西洋と日本では少し様子が違う。
西洋ではヴェルクマイスターとナイトハルト(平均律理論の研究者)が平均律を開発し、大バッハがヴェルクマイスターの平均律理論に基づいて『平均律ピアノ曲集』を書いたと信じられていた。
フーゴー・リーマンやヘルムホルツなどの有力な学者が、原典を参照せずに言った言葉が、後世に悪影響を残したのである。(多くの研究者が訂正を提案しても少しも崩れることのない虚構として存在し続けた)
*「バッハの『平均律ピアノ曲集』の原題は“Das Wohltemperierte Klavier”で、パリという人が
『平均律に調律されたクラヴィコード』と呼んでいるが、ドイツ語の平均律は別の言い方をするので、
文字通り『良い響きに調律されたピアノ』とすべきだ」とバーバーは彼の著書に記している。
日本では、明治の初めにヨーロッパの音楽が入ってきた時、ヨーロッパの音楽の平均律化が完成した直後であったため、日本の音楽関係者は、平均律(12等分平均律)が唯一無二の音律であると思い込んでしまったのである。ただそれだけのことである。
平均律(12等分平均律)と間違われた、全調移調可能な音律としてのヴェルクマイスター音律は、白鍵では5度(ドーソとかレーラなど)の幅が狭いために3度(ドーミやレーファなど)が純正に近く、黒鍵では純正5度になっているためピタゴラス音律に変わる。つまり、変化記号の少ない調では和声的な音楽であり、変化記号が増えるにしたがって旋律的な音楽に変わる、という特徴を持っている。
バッハがヴェルクマイスターの音律で、いわゆる『平均律ピアノ曲集』を作曲した結果、ピタゴラスの三和音は、5度が純正であれば3度が不純でも、かえって緊張感の強い美しい響きを与えることがわかったのである。
音律の問題は、ピアノを伴奏楽器として使う声楽家やピアニストにとっては、天地がひっくりかえるほどの大問題なのである。単なる前提条件ではあるが、平均律(12等分平均律)理論を絶対的な定説として信じて疑うことなく研究を続けていた、私の昔の長大な時間が惜しくてたまらない。~
(「諭吉倶楽部会報第2号」掲載文より抜粋)

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