奥村9)私の好きな諭吉の文章(8)・・・29号

                              「私の好きな諭吉の文章」(8) 

                         奥村一彦(80年経済卒)

1 『痩我慢の説』についてこれで3回目です。3回目になって、ようやく本チャンに「痩我慢」の中身について深く考える流れになり、今日までたくさんの読書を続けましたが、まだまとまった文章が書けません。そこで今回は、読書の経過とその中身を書かせていただいて、次のステップにしたいと思います。

2 この間読んだ主な本は次の通りです。

『福澤諭吉辞典』の『痩我慢の説』の項

『忠誠と反逆』(丸山真男著、岩波書店。「著作集第8巻」)

『或る歴史的変質の時代』(藤田省三著、みすず書房。「著作集5」)

『痩我慢の精神』(萩原延壽、藤田省三ほか。朝日文庫)

関連文献は上記『痩我慢の精神』の「解説」を担当した宮村治男氏の「関連文献一覧」がありますので参照してください。

さて、上記は名だたる学者、思想家の文章で、特に藤田省三氏の『或る歴史的変質の時代』は、私情が公徳になる、その契機と両者のつながりを、これでもかこれでもかというくらい力強い文章で書いており、感動ものです。『福澤諭吉辞典』でも参考文献として挙げられています。

ですので『痩我慢の説』の論争に後から参入するのは至難の業で、越えられない高い峰のようなものです。

にもかかわらず、この一民間人の私が参入したいかと言えば、まだ語り尽くされたとは言えないのではないかと思うからです。

といいますのは、上記の文献を読みますと、なるほど歴史上の事実を博捜し、誰もが納得するような深い「読み」(宮村治雄)があることは事実です。「立国は私なり、公にあらざるなり」という冒頭のマニフェストの衝撃に圧倒されているようです。

私も、その衝撃に圧倒されている一人ではありますが、しかし、例えば何故、諭吉は「私情」を発揮する際の、その心理の内面を「痩我慢」という言葉を用いたのか、まだその解説を読んだことはありません。「痩我慢」という言葉は特殊な用語ではありません。日常に使う俗語です。諭吉流の誰でもが知っている普通の用語を使ったと思うのですが、諭吉がその俗語にどのような意味を持たせようとしたのか、十分な「解説」にはまだ出会っていません。説明するとなると、避けようと思えばできることでも、それでも無理をしてでもやらなければならない精神のありかた、あるいは犠牲的精神とでも名付けることが可能と思います。でもまだしっくりこないのです。アメリカ合衆国のリパブリカンによくある、祖国のために死ぬことはアメリカ人としては美徳であるという精神なのだろうかとか、フランスで、第二次世界大戦中に兵士としてドイツ軍に捕まったり、地下活動をして逮捕され、銃殺された若い人が銃殺直前に残した遺言集に出てくる、銃殺されることは悲しいことじゃないとか、文章の最後に「Vivre France!」と着いている、それを書いたその瞬間における心情と似ているのだろうか、などと考えたりします。

諭吉が、日本人にはその精神が欠けていると考えたことは間違いなく、『学問のすすめ』でも「マルチムドム」という用語が出てきますし、『修身要領』にも国の危機には生命を賭して闘う道徳を説いています。

一方、美徳に転化する前の「私情」は取るに足らないものだと明確に定義づけます。この落差に読者は目がくらむわけです。

 

3 まだ問題があります。この『痩我慢の説』を書いた明治24年時点での諭吉の日本の現状認識があったはずで、それはいったい何だったかもまだまだ解明されていないように思います。

朝廷軍とまったく闘わなかった勝をこっぴどく責め、北海道まで行って幕府を再興しようと闘った榎本には多少批判の矛先が緩い面があるのは、人情のしからしめるものですが、そこから映し出される諭吉が残そうとした抵抗の精神が、今(明治24年の時点)いかに傷ついている認識だったのか、さらに深めたいと思います。幕末から御一新の動乱期の見直しとなる気がします。

(続く)

(奥村一彦:弁護士、京都第一法律事務所)

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