天川 貴之:52号「哲学随想12」~感性的宇宙次元と叡知的宇宙次元について

        【哲学随想12】

「感性的宇宙次元と叡智的宇宙次元について」

                             天川 貴之(1991、法、卒)

私達は、考えること自体の中に、存在を創造する力があることを認めなければならないのではないだろうか。思考すること自体に、創造の力が育まれているのではないだろうか。思索するということは、何かを産み出すということにもなることであるのである。故に、善く思索されたものは、善く産み出されたものであるともいえるのである。

我々が問いを投げかける時、それに対して、様々な応答が精神の内部においておこるが、その一つ一つの思索の過程の中に、創造行為が認められるのである。「吾思う、故に吾在り」である。「吾考える、故に吾創造せり」である。このように、我々は、思索することによって、創造活動に参画しているのである。

思索すればする程に、言葉の世界が拡がってゆくのである。それは、一人の内的宇宙に止まらず、他者の内的宇宙の拡大をも示しているものである。故に、客観的に、宇宙が一つずつ増えていっているのであるといえる。

従って、思索は、宇宙を創造することである。思索によって、宇宙が育まれてゆくのである。思索をするということは、宇宙を創造することであるといえるのである。

例えば、マルクス・アウレリウスの思索された宇宙は、そのまま一つの宇宙時空を全世界市民の方々に開示出来たものと思われる。このように、一つの思索する精神によって、一つの宇宙が増えているのである。我々の魂は、その内に自由自在に出入りし、また、住むことが出来るのである。

哲学者は、様々に宇宙を創造しているのである。知的時空間が拡がるということは、それだけ理性的自由が拡がるということであり、理性的自由が拡がれば拡がる程に、我々の体験する宇宙も拡がっているといえるのである。

本来、叡智的宇宙に住んでいる人格的人間存在は、感性的宇宙とも共存しているのであるが、その双方において交流があるのである。叡智的宇宙からの法則が、地上の感性的宇宙にも影響を与えるのである。それが思索の本質である。

思索するということは、我々が、本来の叡智的生命に回帰するということであり、叡智的生命のリズムを感性的世界に刻印するということである。我々は、思索を通して、本来の叡智的自由を発見し、叡智的自由に基づいて、思索の結晶を、地上の感性的宇宙、感性的世界に繰り拡げることが出来るのである。

しかしながら、この感性的宇宙というものは、不断の叡智的宇宙からの命法によって様々に彩られてゆく。哲学という営みの中で示されてゆくものは、感性界に与えられた叡智的自由の発露であって、哲学的思索そのものが、感性的世界を感化して変えてゆく力を有しているのである。それ故に、我々は、無限の力を有しているのであるという自覚を持っておかなくてはならない。

感性的宇宙の中にも、様々な科学的精神が宿っているのである。造物主の科学的精神が展開して、現象界の万物の運行となっているが故に、その一つ一つに科学的精神が宿り、合理的に運行しており、一つ一つの動きや働きが法則性を持っている訳である。その一つ一つに思いを巡らせてみることも、哲学者の思索の中には含まれるものである。我々は、科学的精神の中に生かされながら、科学的精神を超えた叡智的存在者としての宇宙にも自由自在に飛翔出来るのである。

感性的宇宙は三次元時空であり、これに時間を加えて四次元時空としてもよいが、我々の精神の住むのは、五次元時空以降の精神世界である宇宙次元に住んでいる訳であって、さらに十次元存在まで考えられる所の超越的宇宙である。我々の精神は、これらの高次元世界に在って、この四次元世界に深い影響を与えつづけている訳である。

物理学的に観ても、高次元な世界に精神は実在しており、精神的次元のもの、叡智的次元のものを汲み出しては、感性的宇宙にそれを注ごうとしているのが、思索の本来の姿である。叡智的世界に在るものを、感性的宇宙に刻印しようとする営みが、ロゴス化する営みであるのであり、叡智的次元にあるものを、感性的次元にあるものへと変換する作業が思索の本質であるのである。

思索の世界に飛翔する時に、我々の精神は、感性界を超えて叡智的宇宙へと飛翔し、新たなる叡智的宇宙をその度に創造しているのである。このような叡智的宇宙に飛翔することは、精神的進化を伴うことであって、精神的に新世界を開拓してゆくことなのである。

感性的宇宙に住み慣れた魂も、本来の思索的行為を通して、叡智的次元にあるものを思索してつかむことが出来るようになってゆくのである。故に、「吾が思索する世界に吾住めり」という言葉になってもよいであろう。「吾が思索する宇宙次元に吾住めり」という言葉になってもよいであろう。

我々は、我々の宇宙を問いつづけて、さらなる新しい宇宙をその度ごとに創造しつづけているのである。我々は、新しい宇宙を創造してゆく一つの中心点である。思索をするということは、宇宙の中心点に吾が居ることを確認する作業でもある。不断に思索すれば、宇宙は拡大されてゆく。我々は、さらなる宇宙を創造するべく、魂の飛翔を続けるのである。

魂の飛翔する宇宙が拡くなればなる程に、理性的自由は拡大されたことになる。理性的自由は、法悦の源である。魂の宇宙は、拡大しながら、その内に法悦郷を育んでゆくのである。宇宙が拡がれば拡がる程に、理性的法悦も深まるのである。

(JDR総合研究所・代表 天川貴之)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。