天川貴之:53号「哲学随想14」~価値多元主義という哲学的思想的立場について~
【哲学随想14】
「価値多元主義という哲学的思想的立場について」
天川 貴之(1991、法、卒)
哲学思想といっても様々なものがあるが、それぞれの人性に即して学ぶ形とは、比較的自己の思想に近い思想家の著述を何度も読み返して、自らの思索の基軸としているような方も多いことであろう。
本当に、人類の哲学的古典というのは典型が自ずから定まっており、ごく少数の精神が支柱となって学ばれているといえばその通りであるかもしれない。
かのヘーゲルであっても、何故にキリスト教というものをあらゆる宗教の典型のように考えたのかということは、彼が置かれていた当時の時代環境による所も大きいであろう。
そもそも、絶対者や道徳律というものが多元的で多様であってよいのか否かということは、人類にとって大いなる課題である。
ただ、現代社会に生きる我々は、既に多様なる価値観を肯定しているし、様々に異なる文化文明間における相互理解の根底には、多様なる価値観の受容ということが必要不可欠であろう。
私がモンテーニュやエマソン等の随想家を愛するのは、彼らが、多様なる価値世界を広げながら、多様なる哲学、思想、芸術をルネサンス(再興)して下さる所があるからだと思う。このような文化尺度の広さや厚さを愛するということも、哲学的愛の形の一つであろうと思う。
この反対に、絶対者はキリスト教の神のみであって、宗教規範はキリスト教の道徳律のみであるという価値観は、哲学思想をその精神の中心とする私のようなタイプを説得するのは難しい。
近所の牧師の方が、仏教や神道を捨ててキリスト教のみを信ぜよという主旨のことを述べられたが、仏教や神道等のキリスト教以外の宗教、哲学、思想を肯定する心はこれからも変えるつもりは全くない。それは、自己の世界観を限りなく狭くしてしまう考え方ではないだろうか。
例えば、先祖伝来の宗教である浄土真宗には親しみがこもっていて、御先祖様もその方が納得されると思うし、また、日本の伝統宗教である神道も尊重したい。確かにキリスト教も学びたいが、もっとより広い価値基底を自分なりに創っておきたいのである。
先程述べたヘーゲルであっても、彼が到達した哲学的な高みには大いに敬意を表しつつも、その一方において、残念ながら、所詮、彼はキリスト教の御用学者にすぎないのではないかという穿った見方をしてしまう所もある。
このように、宗教多元主義というものは、様々な分野で言われて久しいことであると思っていたけれども、実際にはそれと異なる現象も多くあるのであろう。
同様に、浄土真宗であっても、基本は阿弥陀一仏を礼拝するのが主旨であろう。このように、多様なる仏、多様なる神、多様なる価値観というものは、厳密にはあまりないものなのかもしれない。
しかし、一哲学者、一思想家としては、価値多元主義の方向でありたいと思う。それは、それぞれの分野で学ぶべきものが多いからであり、そのそれぞれに、尊重すべき多様なる価値と理が実在するということをありありと感ずるからでもある。
人生は学びの連続であり、思索の連続である。従って、今後、私自身の考えも変わってゆくかもしれない。しかし、これからも、自らの精神態度の中軸にこの思想的な広さを据える価値観だけは捨てたくないと思う。
私は、そのような観点から言えば、明治憲法より日本国憲法の方が優れているとも思う。たとえこれより後の時代に神道的な価値観が新たに再興されてきたとしても、現憲法の宗教多元主義、価値多元主義、政教分離の方がよいとも思う。
何故なら、私が哲学者思想家として抱く所のこのような哲学的思想的な立場が、実は、世界的に見ても、現代憲法下での主流の普遍的な哲学や思想であるということを再認識するからである。
確かに、へーゲル哲学は、西欧近代哲学の最高峰かもしれない。しかし、それでもやはり、私は現代思想の潮流の中の良識的な宗教多元主義、価値多元主義により親近感を憶えるのである。
キリスト教に偏ったトマス・アキナスやへーゲル哲学における神概念をもっと普遍的に解釈すればよいという助言もある。確かに、それこそ真なる哲学の天命であり、天分というものでもあろう。
このように、キリスト教中心の神概念を、普遍的理念としての神概念へと昇華してゆく道も確かにあるであろうし、思惟する精神としては、私は、より一層の普遍性、抽象性、止揚性を求める面が強くある。
何故、私が価値多元主義を尊重するのかといえば、それは多くの文化的価値をそれぞれに味わい、学びたいからであるということがいえよう。そして、例えば、キリスト教を学ぶことが、価値多元主義を否定することになってしまう時には、自らの哲学者としての価値多元主義という哲学的立場、思想的立場をあえて主張して、再確認した上で、それを基準として、今後も自己の哲学思想を拓いてゆきたいと思う。
基本的には、私の哲学随想には価値多元主義的立場の思想が数多く語られていると思う。しかしながら、このことは、未だ世界では当たり前でもないのである。あえて、広い立場を私の魂が望み、創ってきた世界観なのである。

