杉本知瑛子:53号「福澤諭吉と中川牧三」(4)
「~福沢諭吉と中川牧三~(4)」
杉本 知瑛子(H.9 文(美・音)卒)
中川牧三先生
福沢諭吉先生
近衛秀麿氏
中川牧三・河合隼雄 共著出版本
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ねえ、チルちゃん、前の一万円札のおじさん、まだ出てこないの?」
「もう少し待ってね。福澤諭吉はクーちゃんでも知ってるくらい有名な方だけど、中川牧三というお名前を知っている方は、音楽の先生方でも少ないはずよ。」
「それじゃあ、凡人の一人みたいだよ。」
「だから、ソフィアさんが自分の師匠であった中川先生のことを、よ~く説明してからでないとお話を進められないのよ。」
「わあ、なんかまたミステリーみたいだ。早くお話を聞かせてよ!」
《 「福澤諭吉と中川牧三」(2)-1」 》
1、天才ということを、一般人(凡人)にとって非常に困難なことを容易に出来る能力を天性として持っている人を天才というのなら、福澤先生も中川先生も正しく天才といえる。
今回は日本では一般に余り知られていない中川牧三先生について、先生の存在で日本の音楽の歴史がどのような変化・発展を遂げたかを検証してみようと思う。
中川先生は「これも勉強した、あれも勉強した」とは決して仰らなかった。
最初レッスンに伺った京都のお宅はレッスン室以外にもお部屋がたくさんあり、レッスン室だけでは先生のご勉学の形跡を伺うことはできなかった。
数年後にレッスン場所として移られた芦屋のお宅は後に先生の奥様となられた方のご実家でもあり、実際に先生が常に目にしておられた書物を見ることができたのは、その後近くの芦屋のマンションに移られてからである。マンションなのでレッスン室の隣の部屋が書斎となっていて書棚がある。喜んで初めてその部屋を覗いた時には正直驚いた。
楽譜も含めて音楽の本は極わずかで、イタリアの気候風土や歴史の本など以外は最近出版されたオペラ歌手の自伝など日本語の本ばかり・・(後で教えて頂いたのだが、引越しの度に古い書物は処分されそれでも必要な書物はマンションの地下室を借り書庫としてご使用されていたとのこと;その地下の書庫は水害にあい貴重な資料と共に全書物も消滅の憂き目に・・・)
それで先生の深い知識経験はレッスン後の“雑談”からでしか窺い知ることができないと思い知らされたのである。
「わあ、よかったね。ソフィアさんお喋りが大好きみたいだから、たくさんお話が聞けたんだろうな。」
「とんでもない!最初はレッスン後にお茶を頂くなんてありえない状況に、ソフィアさんは何も喋らずカッチンコッチンになって、先生のお話をただ聞くだけだったみたいよ。」
「信じられないよ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「中川先生ってやさしそうなおじいさんだね。」
「まあ、青年でもないし壮年でもないけれど、おじいさんという雰囲気の方ではなかったようよ。」
「歌を歌っていると常に青春時代を生きておられるようね。歌を歌うことは健康にいい、長生きの秘訣です。と仰っておられたみたいね。」
「わあ、そしたらソフィアさんも200歳まで歌うつもりなのかなあ」
「うふふ、ソフィアさんにきいてごらんなさい。」
《 「福沢諭吉と中川牧三」(2)-2 》
2、先生は101歳の時に(故)河合隼雄(元京都大学名誉教授:日本でユング派心理療法を確立した臨床心理学者:元文化庁長官)氏との対談による自伝『101歳の人生をきく』(講談社)を出版されている。
その本によると、
“1902年:京都に生まれる。1910年よりバイオリンを学び、1920年から声楽と指揮を本格的に始める。
ベルリン国立高等音楽学校、ミラノ国立音楽院、国立スカラ座歌手養成所、南カリフォルニア大学で学ぶ。
イタリア・アメリカでテノール歌手として活躍。1934年に帰国。
第二次世界大戦中は、支那派遣軍総司令部参謀部付幕僚及び上海陸軍報道部スポークスマンとして上海での日独伊外交を遂行。戦後、日本にイタリアオペラを実現する一方、「イタリア声楽コンソルソ」を創設。~”
これは本の最後に書かれていた小さな「著者略歴」である。これらさえ謎であった先生の経歴などは本にしてくださったお陰で、昔伺ったことと先生の履歴とが重なり改めて謎が解明されていく。
本文の中にはもちろん、?というところもあるが自伝とはそういうものであろう。
私の音楽に必要な知識は先生との雑談によるものが大きい。しかし数十年も前に覚えていたつもりのことでも、その都度のお話が、歴史的に前後関係が怪しくなって覚えていることも多々ある。そういった不安を少なくともこの著書は解決してくれた。
(先生と京響との関係は、終戦直後3年間月に3回位毎日新聞社の京都支局の3階ホールで開催された「バロック演奏会」で京響の人達に演奏協力を依頼されたことであり、岩淵龍太郎、外山雄三、林達次、他、多くの著名な演奏家から無料で出演・協力を得たことである。会の主催者及び指揮者は中川牧三。入場料200円位:聴衆は常に京大の学生ばかりであったそうである)
「中川牧三さんは長生きだったんだね。何歳まで生きておられたの?」
「105歳まで。ソフィアさんが゛慶友三田会の記念祝賀会”でオペラとリートを歌ったとき、ご親友の服部禮次郎(当時全国連合三田会会長)さんに頼んで、演奏を聴きにいって頂いたそうだから。その後すぐに亡くなられたので、ソフィアさんは自分が音楽に戻って活動するまで、先生が死ぬのを待っていてくださったのではないか、と思っているみたいよ。」
「すばらしい先生だったんだね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2)―3へ続く


