白石常介(23)~短編集「季節の装い:夏・その3」・・・41号
短編集 「季節の装い:夏―その3」
白石 常介(81、商卒)
(台湾三田会 顧問)
(5)小暑(しょうしょ):梅雨が明けて本格的に夏になるころ
<新暦:7月7日~7月22日>
お世話になっている人などへの暑さをねぎらう便りである暑中見舞い。もともと簡単に訪問できない遠方の人に対するあいさつ状であったが、大正時代より遠方に限らず出されるようになった。
小暑より前に出すのは梅雨見舞い、小暑から立秋までの間に出すのは暑中見舞い、立秋以降に出すのは残暑見舞いである。
「現在はちょこっと簡単にメールとかラインとか何かで済ませちゃうけど、やっぱり心のこもった対応には手紙なんだろうね」
「そうよ。同じ文章でもそれをしたためる人の文字の形なんかで気持ちを表すことができるし、それが心に伝わるのよね」
「特に恋文、自分のその時の気持ちがしっかり文字に表れると思うよ」
「そうね、不安な時には何となくぎこちないものよ。でもね、そのときの正直な気持ちをしっかり文章にしたためても、恥ずかしくて相手に渡せないってこともあるわ」
「まあ、そうだろうね・・・えっ、そうなの?」
「一度書いたけど、何だか恥ずかしくってそのまま引き出しの中に置いたままよ」
「あっ、でもさ、人の気持ちって普段の行動でもわかるもんだよ。別に手紙を受け取らなくっても」
「そう?」
「そうさ。だから、たぶん陽子も僕と同じことを考えていたんだな、って直感で」
「えっ、じゃあその時の気持ちを言ってみて」
「でも、間違ってたらやだな」
「いいわよ、どうぞ」
「じゃあ・・・“けっ、けっ、結婚しようか”って」
「ほ~ら、違うわよ」
「え~っ、そうなんだ。大ショック!」
「私はね“ず~っと一緒にいたいわ”って」
「そうか、やっぱり違うのか。えっ?」
「表現が違うだけよ。ありがとう、海人」
「ふ~っ、脅かさないでくれよ、寿命が縮まっちゃったよ」
「ふふっ、か~わいい、海人って。じゃあ、今は?」
「今? う~ん、今は夕方の5時過ぎだから、少しお腹がすいてきたかな、って」
「あのねえ、それって・・・まあいいわ」
「おっ、話すそばからお腹が鳴ってきたぞ。今夜は何にする?」
「せっかく盛り上がってきたのにムードのない人ね」
「だって現実が目の前にあるとさ」
「いいわ、私は今夜は霞をいっぱい食べるから」
「霞、って」
「今夜は仙人の生活よ。気持ちも純粋に」
「霞か・・・“霞たなびく 山すその 大空高く だんご雲 次の雲は 苦~いお茶で”ってか。ほら、ぽっかり浮かんでるようだろ、おいしそうに」
「はいはい、どうぞ、ご勝手に」
ところで、七夕(たなばた)は星祭りともいい旧暦7月7日の夜のことで、お盆(旧暦7月15日前後)と関連のある行事であったが、明治以降お盆が主に新暦の月遅れ8月15日前後に行われるようになったため、主に新暦の7月7日に行われる七夕との関連性が薄れてしまった。
また、江戸時代の(旧暦)7月16日は藪入り(やぶいり)といって、1月16日(小正月の翌日)とともに、嫁入り先からはお嫁さんが、奉公先からは丁稚(でっち)や女中さんが、実家に帰れる日であり、実家でお盆やお正月を楽しんだりした。
「今夜は7月7日の七夕ね。天気もいいし、ここの川べりでこうしてゆ~っくり寝そべって」
「口を開けていると何だか牛乳がこぼれてきそうだね、天の川の」
「風情が無いのね、海人って」
「だって、天の川ってミルキー・ウェイだろ」
「もういいわよ。それより今夜は織姫と彦星が会えそうだわ、こんなにいい天気なんですもの」
「天の川をはさんで、こと座のベガ(織姫)とわし座のアルタイル(彦星)が1年に一度だけ会える日か。でもたったの1日だけだもんね。僕たちだったら気が狂っちゃうよ」
「伝説ではね、夫婦になってから織姫は旗を織らなくなり、彦星はまじめに牛を追わなくなってしまったので、天が怒って天の川を隔てて二人を引き裂いてしまったけれど、かわいそうなので1年に一度だけ会うことを許したんだって」
「そうか。でもさあ、もしその1年に一度の日が雨だったらどうするんだろう」
「もし雨で天の川を渡れないときにはね、カササギに乗って会いに行くみたい」
「そうなんだ。えっ、でもカササギって鳥だよね。織姫や彦星が鳥に乗ったらそれこそ天の川に落っこちてしまっておぼれちゃうんじゃあないか?」
「夢が無いのね、海人って。現実過ぎるのよ」
「だって、かなり重いから。僕たちだったらどうなるのかなって考えてみたらさ、僕“は”たぶんいいけど」
「何か言った? まったく理解できないんですけど。特に強調した部分が」
「冗談だよ、冗談。あまり気にしないでさ」
「私帰るわ!」
「かえる? カエルはゲコゲコ、お酒を飲んでないのにもう下戸下戸」
「・・・でも、海人の意味不明のそういうとんでもない行動が好きなの、私」
「ありがと。でもよかったね、僕たち1年に一度でなくって」
「でも、海人の対応次第では1年に一度も会わないこともあるわよ」
「えっ、しっ、しっかりがんばりますです、はい!」
少しお腹がすいてきたので食べ物のお話。
まずは夏が旬のカレイ。から揚げ、塩焼き、ムニエルなど、さっぱりした白身でおいしい。こちらも淡白で上品な甘みのある高級魚、コチ。高たんぱく、低脂肪のため夏バテにも。夫婦一緒にいる魚なので、どちらかが釣れるともう一匹もつれてしまうとか。夫婦喧嘩の際には和解に食卓へ!?
あっ、夏バテで忘れてはいけないもの、うなぎ。夏の土用は立秋前の18日間のこと。この時期にある丑(うし)の日が土用の丑の日。ビタミンAやDが豊富で夏やせによいとされ、昔から精のつく魚として万葉集にも登場している。タレをたくさんつけた蒲焼き、タレを付けない白焼きともども美味である。
とうもろこしにも夏の訪れを感じる。ゆでても焼いてもおいしい夏の味だ。ひげが多いほど粒ぞろいで、毛先が茶色いほど熟して甘いらしい。
毎年7月9日と10日に開かれる東京下町の夏の風物詩のひとつ、浅草寺のほうずき市。神仏に詣でてお参りすれば功徳が生ずるといわれている日が縁日。その中でも功徳日は特別な日であり、この日にお参りすると四万六千日のご利益があるとされている。浅草寺では功徳日に合わせて上記日程でほおずき市が開催される。
ほおずきのほか、風鈴、金魚すくいなど、夏の一時の清涼感漂う昔ながらの風情がこのほおずき市を彩っている。
蓮の花が咲き始めるのもこのころである。
「ねえ、蓮って水底の地下茎(蓮根)から茎を伸ばして、水面に葉を浮かべて花を咲かせるのよね」
「そうさ。その花は夜明けとともに咲いて、昼ごろにはもう閉じちゃうんだよ」
「それと果実の皮ってすっごく厚くって土の中で発芽能力をとんでもない期間維持できるのよね」
「うん、聞いたことがある。発芽に成功したものは2,000年前のものだったりね」
「蓮を見ていると、何というか、厳かな感じがあるわね」
「ほら、聞いたことがあるかい、“蓮は泥より出でて泥に染まらず”って言葉」
「あるわよ。“汚れた環境の中でもその影響を受けることなく清浄を保つ”ってことでしょ」
「そう、その通り。僕たちもこの社会に生まれてきたからにはいろいろな不浄があるけど、できるだけ染まらないで清らかな姿を保てるようにしたいね」
「そうね。いろいろ困難なことがあるでしょうけど、それはまさに生きている証拠。でも、少なくとも心だけは清浄でいたいわね」
(6)大暑(たいしょ):暑さがもっとも厳しくなるころ
<新暦:7月23日~8月6日>
東京の夏の風物詩のひとつでもある7月の最終土曜日に行われる隅田川花火大会。1733年、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が前年の大飢饉での犠牲者を弔うため隅田川で水神祭を行い、この時に両国橋周辺の料理屋が許可を受けて花火を上げたことが両国の川開きの由来とされ、その後、鍵屋(かぎや)と玉屋(たまや)が花火の腕を競い合い、見物人がよいと思う方を「かぎや~」「たまや~」と叫んだことからこの掛け声が生まれた。この両国の花火は、1978年より今の隅田川花火大会へと名称変更されている。
また、お祭りも各地で盛んであり、暑気払いには大変よい。
青森ではねぶたまつり、ねぷたまつりがある。双方とも睡魔を追い払う“眠り流し”という行事がその起源であり、“眠り”のなまり方が地域により異なり“ねぶた”、“ねぷた”になったのではないかといわれている。代表的なもののうち、青森市の青森ねぶたまつりは毎年8月2日より7日まで開催され、立体的な歌舞伎風の人形灯籠が中心で掛け声は「ラッセラー」。一方、弘前市の弘前ねぷたまつりは毎年8月1日より7日まで開催され、平面的な扇型の灯籠が中心で掛け声は「ヤーヤドー」。
秋田の竿燈(かんとう)まつりは毎年8月3日より6日まで開催され、竿燈全体を稲穂に、いくつもの提灯(ちょうちん)を米俵に見立て、風を受けてしなる重い竿燈を額や肩や腰などに乗せ五穀豊穣を祈る祭りである。
東北ではさらに仙台藩祖伊達政宗公時代より続く伝統行事の仙台七夕がある。特に有名な仙台七夕まつりは毎年8月6日より8日まで行われ、仙台市内中心部や周辺の地域商店街はじめ、街中が鮮やかな七夕飾りで埋め尽くされる。
「夏祭り、聞いただけで浮き浮きしてくるわ。小さいときは浴衣(ゆかた)をお母さんに着せてもらって近くの神社で太鼓の音とともに輪になって踊ったり、夜店で金魚すくいをしたり、懐かしいわね。あっ、それにね、水辺の幻想的な世界に入り込んだこともあったわ。蛍(ほたる)狩りよ」
「へえ~っ、陽子っていろいろなことを体験してきたんだね。すごいことだよ」
「海人は? もちろん海辺でいろいろ体験したんでしょ?」
「そうさ。でも海辺だけじゃあないんだ。家の前は海、後ろは山でさ。砂浜では山から取ってきた竹を手ごろな長さに切って友だちとスイカ割り。うまく割らないと砂がついちゃって。でも、それを目の前の海で洗うと塩付きスイカの出来上がりさ。みんなで食べるからうまいんだよね、これが」
「ふ~ん、じゃあ山の方では?」
「これもいいんだなあ。朝早く起きて友だちと山に入っていくんだけど、樹液がたくさんあるとこは分かっているからね。“やっぱりいたぜ”って感じで捕まえるんだ。一本角のカブトムシ君と二本バサミのクワガタ君をさ。角で相手をひっくり返すカブトムシか、ハサミで挟んで相手をそのままひっくり返すクワガタか、どっちが勝つか、って、結構楽しく遊んだもんだよ」
「小さいときは机にかじりついて頭を動かすんじゃあなくって、外で自然と戯れることの方が大切よね。大きくなってそう思うわ」
「そう。小さいときから自然を相手に自分の頭で考えて遊びを創造していくのも大切なことだよ」
「ねえ、家の後ろは山でしょ。だったら裏山の夏の蝉時雨(せみしぐれ)って当然聞いているでしょうけど、あれって風情があると思わない?」
「あるある、すっごくあるよ。夏の到来とともにニイニイゼミ、次にアブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ヒグラシ、そして夏の終わりにはツクツクボウシ」
「“チ-- ニ--”、“ジ-ジ- ジリジリジリジリ”、“ミ-ン ミンミンミ-”、“シャワシャワ シャワシャワ”、“カナカナカナカナ”、“オ-シ-ツクツク ツクツクオ-シ-”」
「おっ、すごい、蝉の鳴き声だね」
「よく友だちとセミの鳴きまねをしたんだ。まだ覚えてるわ」
「ほんとにいい経験をしてきているんだね、陽子は・・・ウオッホン、あの、今度はまじめな話。もう既に話したけど、この夏は僕の実家に連れて行きたいんだ、陽子を」
「うれしい!だって海辺の家でしょう。私、海辺で育ったことがないからあこがれているの。だ、か、ら、この大学に入ったの」
「よ~く聞いてくれる、陽子。君を連れていく本当の理由はね」
「ありがとう、海人。もう分かっているわよ、言わなくても。私こそ、末永くよろしくね」
「陽子・・・」
海人は最近、水産業の現状の問題および将来に向けて何をすべきであるのかを、真剣に考えている。
・周辺水域での海水温上昇や水温分布変化による魚介類の分布海域変化や資源水準の変動などに対する水産資源の適切な利用の必要性や資源管理のための明確な方法の策定。
・海外の漁業市場、輸入水産物との競合、為替相場などに伴う国際的な動向を意識した漁業経営の必要性。
・少子高齢化、高所得を求めての若者の漁村から都会への流出、天候に左右される魚価の変動などでの収入不安定による漁業経営をめぐる厳しい状況、などに基づく漁業後継者問題に対する善後策。
・我が国のほぼすべての世代の魚介類摂取量の減少(肉類摂取量の増加)および人口減少に伴う全体消費量の縮小への対策。
・一方、世界を見渡すと、新興国を中心に健康志向が増加し、動物性たんぱく質の摂取量が増え、水産物流システムも整備され、世界の水産物消費量は拡大している。そこで、世界人口の増加を見据えていかに海外の潜在的消費者をつかみ取ることができるか。
「私ね、海人が考えている将来の方向について少しでも役に立ちたいの」
「ありがとう、陽子。今の自分はまだまだ一人前じゃあないけど、たくさん勉強しながらきっと人の役に立つことをしてみせるからね。それに陽子だって、同じ漁業の道を一緒に歩んでいるんだし」
「だから、海人の考えが少しは分かるのよ」
「例えば?」
「とりあえずの方向は、“現状、水産資源は乱獲などにより危機的状況にあるけど、うまく管理すれば回復できる。そこで、水産資源をいかに適切に管理しながら生産性を向上させ、漁業就労者の確保を図り、多種多様な鮮度の高い魚介類をいかに消費者に供給していくか”でしょ?」
「ズバリ、その通り、さすがだね。じゃあ、実家でも同じことを話してくれないかな、僕に代わってさ」
「いいわよ、喜んで。じゃあ今度は私に代わって“末永くよろしく、って陽子が言ってました”って話してね、ご両親に」
「それは僕が“この人と一緒になりたいんだけど”って言ってからだよ」
「わかったわ。じゃあ、その後で私が“仕方ないけど、そうします”って話そうかな」
「えっ?」
「アハハ」
「これからもよろしく!」
「こちらこそ!」
(完)
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参考資料(1)
*短編集「季節の装い:夏-その1」
白石 常介(81、商卒)
(台湾三田会 顧問)
(1).立夏(りっか):次第に夏めいてくるころ
<新暦:5月5日~5月20日>
夏とはいっても本格的な暑さはまだ先のことであり、新緑の季節、さわやかな風の季節、五月晴れの季節である。
夏川海人(なつかわ かいと)、21歳。
太陽がカンカンに照り付ける海辺の漁師町で産声を上げ、大海原とは大の仲良し。高校まで地元ですくすくと育った。
将来は海の仕事をしたいため、現在は海洋生物資源環境関連の学部がある都会の海洋系大学に通っている。
地方からの学生にとり都会での生活費は大変であり、特に家賃はかなり高い、ので、同級生の山内陽子とは2年の夏の終わりから一緒に生活している。何事に対しても大きな心の支えでもある。
3年生になり実習を含め学ぶことがあり過ぎて大変であるが、今年の夏休みは実家に戻り、ひと夏をゆっくりふるさとで過ごす計画を立てている。
5月5日は端午の節句。こいのぼりの習慣は、滝をさかのぼって龍になるという鯉の滝登りの逸話より、男子の立身出世を願い江戸時代に武士の家々でこいのぼりを揚げたことによる。
「実家ではさあ、小さいときからこいのぼりを揚げてね、お父さんがよく自分に言ったもんだよ“おまえもこの大海原のようにでっけえ人間になるんだぞ。少しのことでへこたれんじゃねえ。見てみろ、海風に気持ちよさそうに揺られて大空を泳いでるこいのぼりをよお。これだよ、これ、すっげえだろ。おまえもこんなくれえでっかくなって、世のため人のためになる人間になってみろ”ってね」
「いいお父さんね。励まし方がすごいわ。それが今の海人の性格形成に大きな影響を与えているのね」
「そうかもね。あっ、その時はしょうぶ湯に入ったり、柏餅を食べたりしてさ、なっつかしいなあ」
「そうそう、柏って縁起がいいのよね。だって、柏は新芽が出るまで葉が落ちないから、家系が絶えない縁起物なんだって」
「あっ、そうなんだ、知らなかった。」
「ふふ。でも海人のお父さんってどんな人なのか、一度会ってみたいわ、私」
「よ~し、わかった。じゃあ、この夏一緒に僕の実家に行こうか」
「えっ、いいの、私も行って・・・」
「もちろんだよ、ちょうどいいタイミングだしね」
「えっ?」
海人は毎日授業を聞いた後で必ず図書館に行き、その日の講義内容をおさらいしながら自分なりに納得がいくまで参考書を読みあさっていた。
平日は学問漬けの毎日で必死に努力しているが、週末になると一転、陽子とともにゆっくりと生気を養っている。
この週末は一緒に潮干狩り。早速電車を乗り継ぎ浜辺の潮干狩り場に到着。
「うわ~っ、こりゃあいい天気だ」
「ほ~んと。それに風も何だか“ようこそ、いらっしゃ~い”って感じで優しくささやきかけてくるわ」
「でも、紫外線は強そうだから気を付けないと」
「うん。ねえ、どっちが多く採るか競争ね、つまり市外戦。私、強い、あるね!」
「アハハハ、陽子って意外と面白いんだね」
「今わかったの? 実は海人に感化されたのよ」
潮干狩りで採れたアサリ。お吸い物にもよし、酒蒸しにしてもよし。鉄分やミネラルが豊富。また、この時期の旬の野菜であるタケノコ。採れたてのタケノコを刺身にしてもよいが、アサリとタケノコの炊き込みご飯もこの時期の楽しみである。
「ねえ、今夜はアサリとタケノコの炊き込みご飯と旬のお魚はどう?」
「おっ、いいねえ。今の時期は確か、イサキ、キンメダイ、かな」
「キンメダイは私たちには少し高すぎるからイサキにしましょうよ」
「うん、いいよ。皮が厚いからうま味の出る塩焼きがいいね」
「いいわよ。じゃあ、私は炊き込みご飯、海人は塩焼きをお願い!」
「OK!あっ、それとさあ、ビタミンCがたっぷりの旬のイチゴも買って帰ろうよ」
「じゃあ、同じ色でも免疫力を高めるカロテンたっぷりのニンジンもサラダでね」
話が尽きないところで、超新鮮な海の幸をいっぱい入手した二人。もちろん、山の幸も。
夕方の帰り際、電車道のそばの田んぼのあぜ道を歩いていると、突然カエルがびっくりしたように草むらから飛び出してきた。そうか、これから田んぼに水が張られたらそこで大家族ができるんだ。
しばらくすると始まるカエルの合唱。でもこれはオスのみであり、メスを恋しがって鳴くのである。
昔はカエルに降雨の予知能力があるとして田の神様の使者と考え崇めた。これはカエルが水田の害虫を食べてくれる益虫であることとも関係しているようである。
「脅かしてゴメンね、カエルくん。もう何もしないから」
「優しいのね、海人って」
「命あるものはみんな大変なんだよ、生きることに。だから優しくしてあげないとさ」
「そうよね。あっ、それと、お部屋に花を飾らない?」
「いいねえ。で、どんな花がいい?」
「ちょうど今ごろ咲く藤がいいわ」
「さすが、センスいいね。確か藤ってさあ、清楚でありながらも華やかで美しい花なんだよね」
「そう。花言葉は“恋に酔う、決して離れない、優しさ、歓迎”などよ。すっごくいいでしょう」
「そうだね。うん? 決して離れない、か。(小声で)女の執念・・・」
「えっ、何か言った?」
「いっ、いや。(これも小声で)何事もいいようにいいように考えること、これが円満の秘訣」
「えっ?」
母の日は5月の第2日曜日。その日には、母が健在な人は赤いカーネーションを母に贈り、既に亡くなった人には墓前に白いカーネーションを捧げていたようであるが、最近では母が好きな(好きであった)色のカーネーションを選んでいるようである。
陽子の母は昨年亡くなってしまったため、お墓に白いカーネーションを捧げてきたようである。優しい心の持ち主でもある。
海人は陽子の言う“決して離れない”の意味を“男性を信頼し寄り添う女性”と解釈しようと強く心に決めた。
(2)小満(しょうまん):命が次第に満ち満ちていくころ
<新暦:5月21日~6月4日>
植物も動物もそして人間も、日の光を浴びて輝きを増し始める季節である。
現在は新暦5月のさわやかな晴れを五月晴れ(さつきばれ)と呼んでいる。
しかし、以前は梅雨(つゆ)のことを旧暦5月に降る雨なので五月雨(さみだれ)、その時期のどんよりした雨雲を五月雲(さつきぐも)、そしてその間に現れる青空を五月晴れといっていた。
「ねえ、5月23日は何の日でしょうか」
「えっ、何の日? ええっと・・・あっ、鬼の日」
「何で?」
「何でって、まあ、5、2、3、は“鬼さん”だろ?」
「何言ってるのよ、って、でも語呂合わせは当たっているわ。恋文、つまりラブレターの日よ」
「ん? あっ、5(恋)、23(文)、そうだろ」
「よくできました、その通り。それと、この日はもう二つあるのよ」
「もう二つ? わかった、ひとつは“お兄さん(523)”の日、だろ」
「あのねえ。1946年公開の“はたちの青春”っていう映画の封切日が同じ5月23日だったの」
「それで?」
「日本で初めてキスシーンが登場した映画なんですって」
「へえ~っ、そうなんだ、ふ~ん」
「5月23日のことを覚えてないの?」
「う~ん・・・」
「がっかり!」
「えっ?」
「私たちにとって、とてもとても大切な日よ」
「えっ、だって僕たちが出会ってから5月23日っていったら」
「そうよ、去年の今ごろ」
「う~ん、何だろ」
「男の人ってそういうことをまったく気にしないのね、がっかりだわ」
「ん? もしかして、初めてのデートの日?」
「そうよ」
「ごめん」
「私は忘れないわよ、そんな大事な日のこと」
「ぼ、僕だって」
「そうなの?」
「あ~っ、思い出した。そうそう、あの後で“今夜は何を食べようか”って言ったら、陽子が“てんぷらがいいわ、ちょっとぜいたくだけど”って」
「やっと思い出してくれたのね、ありがと」
「そりゃそうだよ。だってさ、そのお店で陽子が“今日はせっかくのお祝いだから江戸前の旬のてんぷらがいいわね”っておねだりしたら、お店のご主人が“じゃあ、江戸前の今の旬はまずクルマエビと鱚(キス)かな”って。その途端に陽子は下を向いてほおを少し紅く染めていたんだよね、恥ずかしそうに、ね、陽子」
「知らない、もう」
「ご主人もご主人で“あ~っ、もしかしてお二人さんは今日が初キス、かな、何ちゃって”って、茶目っ気たっぷりにさ」
「そういうことだけ覚えているんだから、もう」
「いやいや、でもさすがご主人は江戸っ子気質っていうか、きっぷがいいっていうのか、その後でもうひとつキスの天ぷらをサービスしてくれたよね」
「それは海人が後で冗談を言ったからよ」
「あっ、そうそう“江戸時代はキスのことを口づけじゃあなくって『口吸い』っていったようだけど、そっちの方が的確のようだね”って言ったら、“いよっ、ご両人、若いってなあいいねえ、さあ、食いねえ食いねえ”って」
「そうね。懐かしいわ」
「じゃあ今夜も?」
「ムード次第ね!」
毎年5月の第3金曜日から日曜日までの3日間は浅草神社(あさくさじんじゃ)の例大祭(れいたいさい)、つまり三社祭(さんじゃまつり)である。正式名称は浅草神社例大祭。
628年のこと、漁師の兄弟である檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)が現在の隅田川で漁をしていたが、人形の像が網にかかっただけで魚は一匹も取れず、人形を川に捨てては場所を変えてみたが、また同じ人形が掛かるだけであった。
そこで困った二人はその地域の物知りである土師真中知(はじのまつち)に相談したところ、その人形は実は観音菩薩像であることを教えられ、深く祈念したところ、翌日から大漁が続いたそうである。
三社祭の三社とはその三人のことを指し、後に神様として三つの神輿(みこし)で担がれているようである。
なお、浅草神社は明治時代に入るまでは浅草寺(せんそうじ)と一体であり、三社祭は浅草寺の祭りとして行われていたが、神仏分離により浅草神社のみでの祭りとなり今日まで発展してきている。
「ねえ、江戸情緒が今でも残る下町の浅草が1年でもっとも活気付く三社祭はほんとよかったわね」
「うん、東京の初夏を代表する風物詩のひとつだもんね」
「特に最後の日没後に浅草神社境内に戻ってくる神輿は感動したわ」
「僕はその後が感動したな」
「えっ、その後って?」
「ほら、帰り際に買ったほんのり香りがする甘いビワ。あれの皮をむいて陽子がかぶりついてただろ」
「“かぶりつく”って上品じゃあないわよ。“おかぶりつきあそばされました”でしょ!」
「はいはい、ご自由に」
「でも、ビワってすごいのよ。桃栗3年、柿8年でしょ。ビワは最低でも13年かかるの」
「優に小学校は卒業してるか、うん。大変なことだね、それは」
「・・・」
「じゃあ今度はこっちから質問。6月2日は?」
「路地の日でしょ」
「えっ、知ってたんだ、何~だ」
「あっ、そうなの? 語呂合わせで適当に言っただけよ」
「おっ、さすが、そうなんだよ。その日にまた浅草に行ってみないか、路地巡りをしに」
「いいわね。歴史のある場所には路地があって、表通りからは見えない古き良き時代の名残があるものね」
昔風情に浸ることの多い陽子、まだ若いのに。それは生まれ育った生活環境に多分に影響されている。
陽子のふるさとは海人とは正反対の山麓にある。周りは山に囲まれ、堂々と流れる川の上流には山城の名残もあり、川の源流近くでは渓流釣りの対象であるイワナが今ごろは元気に泳ぎ回っているはずである。
川を少し下るとその周辺では麦畑が広がり、一面黄金色になり収穫を迎えている。麦秋(ばくしゅう)とは、麦の穂が実り収穫期を迎えた季節のことをいうが、それは麦にとっての収穫の秋でもあるからである。
また、桜桃とも呼ばれるサクランボの季節でもあり、この時期になると実家からいつもサクランボが宅急便で届き、この時ばかりは親のありがたみを実感している。
山懐ではスズメくらいの大きさの四十雀(しじゅうから)が高く澄んだ通る声で鳴いている。しかし陽子にはまだまだ先ことであり、今はこの鳥にあまり興味はない。えっ? だって、今の年齢の倍近くあるんだもの・・・四十から・・・。
山育ちの陽子はどういうわけかまったく経験したことのない海洋関連事業に興味を持ち、親の反対を押し切って農業関連の大学ではなく今の大学を選んだ。
そこで海人との運命の出会いが。
(続)
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参考資料(2)
短編集「季節の装い:夏-その2」
白石 常介(81、商卒)
(台湾三田会 顧問)
(3)芒種(ぼうしゅ):穂の出る植物の種をまくころ
<新暦:6月5日~6月20日>
田を耕して水を張り、育てた苗を田に植える季節である。
陽子のふるさとではまさに田植えの季節到来。小さいころは大人が腰をかがめて必死に苗を植えているそばで泥んこになって遊んだものである。
傍らの草木の枝などに付いているピンポン玉くらいの卵から小さなカマキリの子どもがたくさんふ化し始める時期でもある。
田んぼと共存するように小川が寄り添ってさらさらと流れている。陽子は少し大きめの葉っぱを拾ってきてそっと浮かべてみた。あの小川の優しい流れの中にも目には見えない小さな波が複雑にうねっていることを子ども心に目に焼き付けていた。それは大自然の中でごく当たり前に静かにささやきかけているものと思っていた水の流れと真剣に対峙した初めての不思議な記憶でもあった。
そのときどこから来たのかわからないまだ青い梅が1個、上の方からゆっくり目の前をニコッとほほ笑みながら流れていったような感覚を今でも鮮明に覚えている。季節を先取りし、“お先に”ってあいさつしていったような気が・・・。
「ねえ、今度の週末、近くの梅林に行ってみない?」
「おっ、いいねえ、梅林か、って、今はもう梅の花は咲いてないよ」
「そうよ。でもいいの。梅林で昔風情のお花見をね」
「えっ、昔風情の?」
「そう。奈良時代まではお花見っていえば桜ではなくって梅の花を愛でることだったのよ」
「そうなんだ、知らなかった。でもさあ、いくら昔風情っていっても花が咲いてなければさ」
「今は実がなってるでしょ。それを見ながらゆっくりと目を閉じて実がなる前の花を想像してみたりするの。そうすると昔の人がお花見をしている姿が浮かんでくるような気がして」
「おおっ、それっていいね」
「でしょ。それと、今度は目の前に見える現実のお話。梅の実は何に使われるでしょうか」
「当然、梅酒さ、へへ」
「海人らしいわね。青く熟す前の梅は梅酒用、熟してきた梅は梅干し用など、完熟した梅はお砂糖と一緒に煮て梅ジャムに、って、いろいろ用途があるのよ」
「梅雨到来とともに青かった実が黄色くなり赤く熟していく、か。人生の縮図みたいだね」
「でも、寂しいけど、青のまま、黄色のまま、終わってしまうことも・・・。
梅雨の季節に咲く花に栗の花があって、降りしきる雨の中で栗の花が散ることから、梅雨入りを栗花落(ついり・つゆり)とも言うみたいだけど、せっかくの花が途中で散ってしまってはね」
「それも運命なのかな」
梅酒ではないが、酒のつまみに欠かせないのがスルメイカ。日本海を中心に捕れ、細く切ったイカそうめんは絶品である。また、この時期はすすいだように身が白いことからきている夏の白身魚、すずき。新鮮なものは刺身などに。
あっ、だからか、透き通るほどの白い肌の鈴木女史・・・ん?
6月の第3日曜日は父の日である。アメリカで男手ひとつで育てられた女性が父への感謝の気持ちを提唱したのが始まりであり、アメリカでは祝日である。
送る花はバラともユリともいわれているが、日本ではお酒に上記魚介類も喜ばれるかも。花より団子? いやいや、花と団子!
「ねえ、海人は小さいときに何か習っていた?」
「うん。魚の上手な釣り方とか、魚の上手なさばき方とか、魚の上手な食べ方とか」
「そうじゃなくって、お習字とか、ソロバンとか、おけいこ事のこと」
「何だ、あるよ。正月はお餅がうまくってね、思わず習字の書き初めで“うめ~~っ”て書いたら親からお説教、ソロバンをひっくり返してその上に乗って遊んでたらこれまたお説教、怒られた記憶しかないけど」
「それはそうよ、そんなことしたら。でも海人らしいわね。
私はピアノを習ってたの。近くに音楽の先生がいて、6歳のときからときどき教えてもらったわ。昔からお稽古事は6歳の6月6日から始めると上手になるんですって」
「へ~え、でも何で?」
「指を折り曲げて数えるときはね、1、2、3、4、5、そして6はちょうど小指を立てるでしょ。つまり6は子が立つので縁起がいい、っていうことみたい」
「ふ~ん。でも迷信だね、たぶん。で、陽子は何を習ってたの」
「えっ、何を聞いてるのよ、ピアノって言ったでしょ」
「だから、どんな曲を?」
「途中でやめちゃったけど、最後はショパンの英雄・・・」
「おおっ、そこまで行ったのか、大したもんだ、そりゃうまいよ。英雄マヨネーズだろ」
「はあっ?」
(4)夏至(げし):一年で最も昼(日の出から日没まで)が長く、最も夜が短いころ
<新暦:6月21日~7月6日>
対語の冬至(とうじ)とは夜の長さが約5時間も短い夏至。
その短い夜もなんのその、平安京で疫病がはやり無病息災を祈る儀式が行われたのがその起源であるといわれている7月1日より1ヵ月も続く京都の八坂神社の祭礼、祇園祭(ぎおんまつり)。17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)は最大の見もの。京都の夏の風物詩である。
福岡の博多でも5月の博多どんたくのほかに、毎年7月1日より15日まで博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)が行われる。特に町ごとに山笠という大きな大きな山車(だし)を繰り出し太鼓をたたきながら櫛田神社(くしだじんじゃ)までの道を走ってその速さを競い合うさまは勇壮そのものである。
「ねえ、去年祇園祭に行ったときに寄った鴨川の川床(かわどこ)料理、あれはよかったわね」
「そうだったね、眺望抜群の夜景レストランって感じだったもん。頭の上を見上げるとまさに天空の星空だったし」
「お天気がよくて最高だったわ。あの時のお料理ではっきり覚えているのは夏の訪れを知らせるアユ料理。柔らかいので骨ごと食べちゃたわよ」
「骨まで愛して、ってか」
「えっ?」
「いや、アユね。あれももちろんよかったけど、僕はやっぱりハモかな。お店の人が言ってたよ、“祇園祭の間、旬が続くから、祭りハモとも呼ばれているんだ”ってね」
「また行きたいわね」
「実は、あの時は金銭的にずいぶん無理したんだ、僕。今度余裕ができたらまたね」
「無理を言ったのは私の方よ。それを何も言わずに受け止めてくれた海人にホレちゃったの・・・あっ、はっ、恥ずかしい」
「ありがと。今度からは無理のない計画を立てようか、二人で相談しながらさ」
「ありがと。そう言ってもらえて」
6月と12月には、罪やけがれを落とす祓(はらえ)の行事があり、6月の行事は夏越の祓(なごしのはらえ)といい、茅(かや)で編んだ直径数メートルの輪をくぐり心身を清め厄を払い無病息災を祈願する“茅(ち)の輪くぐり”が行わわれる。
このころは、紫色の花が花穂にいくつも咲き夏枯草(かごそう)とも呼ばれるウツボグサ、代謝をよくするクエン酸や美肌・かぜ予防・老化抑制のビタミンCがたっぷり入っている夏ミカン、刻んでそうめんの薬味に入れ夏の食欲を引き立てるミョウガなどが旬を迎える。
「ねえねえ、海人、ほかに花は?」
「それはあるよ、たくさんね」
「そうじゃなくって、一番大事なのを忘れてない?」
「この季節の花で?」
「そうよ。“あ”とか“か”がつくの」
「う~ん・・・ありゃりゃりゃりゃ(困ったときの悩みのポーズ)、かかかかかっ(開き直ったときの大笑い)・・・」
「何ひとりで漫才やってるのよ、もうっ」
「ごめん、思い出せなくて。あっ、もしかして菖蒲?」
「そうよ、ったく。それで、何が言いたいか分かった?」
「そうか、やっと分かったよ“いずれあやめかかきつばた”だろ? あっ、だけどね、今度はこっちから質問、いい?」
「どうぞ」
「あのね、菖蒲っていう漢字、これは何て読む?」
「“しょうぶ”でしょ」
「そう。でもね、“あやめ”も同じ漢字なんだ」
「えっ?」
「ごちゃごちゃだから、とりあえずまとめるとこうなんだって」
花の名前 種 類 特 徴 場 所
(漢字)
・あやめ アヤメ科 網目の模様あり 草原などの乾いた土地
(菖蒲)
・しょうぶ サトイモ科 黄緑色の小花密集 湿地
(菖蒲)
・かきつばた アヤメ科 中央に白色あり 池や沼の近くの湿地
(杜若)
「へ~っ、知らなかったわ、ありがとう、って、私が言いたかったのはね」
「うん、分かっているよ“いずれあやめかかきつばた”だろ。(美しさの点で)いずれも素晴らしく優劣を決められない、ってこと」
「そう、それが言いたかったの。いずれ劣らぬ美人がふたりいるでしょ。ひとりっていうかひとつはあやめかかきつばた、もうひとりは、わ、た、し・・・ヘヘ」
「はは~っ、おっしゃる通りでごぜえますだ、花が散るまでは・・・」
「えっ、何かおっしゃいました?」
「いや、何も。ふたり言、いや、独り言でして、はい~っ!」
( 続く)→「季節の装い:夏―その3」へ