奥村 一彦:54号「私の好きな諭吉の文章29」

私の好きな福沢諭吉の文章(29)

                         奥村 一彦(80、経済 卒)

(前回の簡単な要約)

本稿の目的を、明治6年以降の福澤の演説への傾倒に置き、『福翁自伝』より緒方塾でのディベート、『福澤全集緒言』の「会議弁」より明六社でのスピーチェ、『通俗民権論』よりの出訴公論による討論の結果としての公的正義の形成の重要性を紹介し、そこで、ギリシャのソクラテスらの対話、問答、あるいは弁論が生まれたことと福澤の演説や会話に普遍的な意義を見つけ出そうというはじまりのところで終了しました。今回はその続きです。

 

(続き)

そこで、アテネの裁判制度を公刊されている書籍であたってみました。アテネでは、「法律」という概念があり、例えば殺人罪という罪とその罰が規定されていたようです。ようですというのは、その法律体系一覧そのものは残念ながら発見出来なかったのです。プラトンの『法律』を読んでも、アリストテレスの『アテナイ人の国制』を読んでみても一向に法体系がどうなっているのかはわからないのです。確かに「立法者」とか「裁判官」とか「訴訟」とかたくさん出てくるのですが、どこかにまとめて書かれているはずの条文のどれに該当するか否かという議論が出てこないのです。これは私の未熟な読みに過ぎないかも知れません。もう少し勉強します。ギリシャ語を教えている先生は、例えば石を掘って刻印し、それをアゴラ(広場)などに立てていたと言っていますが、まだ実態は掴み切れていません。

それともうひとつ、弁護人という職業が出てこないのです。そう言えば、『ソクラテスの弁明』も自分で行った無罪弁論の記録なのです。この論考とはどうつながるのかまだ不明ですが、経験から言って弁護人がいないと裁判では被告人は結構危険に陥ります。。自分自身のことや自分に利害関係がある出来事を客観的に見て論陣を張るのは非常に難しいのです。自分本位な論点を提出し、大事な論点を落とすし、見方も一方的になり誤った論述をしてしまいがちになるのです。また最も有利な作戦を取ることにもおうおうにして失敗します。おそらくこれは制度の欠陥だったでしょう。案の定、ソクラテスが弁論で成功せず、結局市民に死刑を選択されてしまったのには、弁論がへただったということももしかしたらあるかも知れませんが、それよりも弁護人が弁論しなかったために、他人に効果的に訴えることができなかった可能性の方が高いと思います。ソクラテスの弁明を見てみると、501人を相手に「無知の知」を説得するというのはおよそ困難だし(対話自体が成り立たない状態)、告訴状にある「天空のことや地底のことを説いている危険な思考」をもっていることを論駁しようというなら、それらの言説の証拠と仮にそう発言していたとしてその実際の効果(影響がなかったこと)を述べなければならないのに、それはどうも出来ていないと思われるのです。また例えば「死を恐れると言うことは、皆さん、智恵がないのにあると思い込むことに他ならないからです」(「弁明一七」)といわれても普通の人には理解が難しいと言わざるを得ません。ソクラテスがその理由とするのは「死というものを誰一人しらないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに」ということですが、そう言われたところで、到底共感を生まないでしょう。死は現代でも恐怖の対象ですから。むしろ皆が無知だと断言したことに対し、反発を生んだのではないかという想像もします。実際ソクラテスは死刑の採決となるのですが、ソクラテス自身もこの理由から死を受容することになるのです。私は残念ながら賛成できません。

3 対話の問題

とまあ、大ソクラテス先生批判はこのくらいにして、ソクラテスが残した、直接目の前にいる人との対話という方法を選んだのは後世の人類への最大の功績というしかありません。人が変わりうるのは直接の話し相手から影響を受けるのが一番多いのではないでしょうか。その先生と接して顔つきからものの言い方から時々脱線した話しの内容などから結構影響を受けるものです。その点「弁論術」というのは多衆を相手にするものですから、いきおい感情的で扇情的な表現と内容になる傾向を持ちます。もちろん、非常に効果的である場合もあるとは思いますが、歴史上、私たちが知っているのは、国民を動揺させたり狂気に導く役割をしてきたことを思えば、それが本当に「技術」といえるほどのものだったかは、ギリシアの昔から疑問を持たれていたように思います。また、その「弁論術」は、福澤の演説とは違うものと思います。福澤は演説とは、知識の普及のために多衆を集めて一時にたくさんの人に知らせるという演説をしています。その点で、民権派の政治演説とは相当様相を異にしてます。『独立のすすめ 福澤諭吉演説集』小川原正道編、講談社学術文庫)の福澤の行った演説のタイトルをみても、人々に行動を促すよりも、啓蒙的教育的知識を普及しようという中身になっています。福澤の演説の様子も、手を体の前で組んで淡々と話していたという報告もあります。

さて本題のソクラテスの「対話」はどのようなものだったでしょう。現時点までに私が読んだのは(生業の合間にしか読めないので不十分は否めないのですが)、『ゴルギアス』と『メノン』くらいで、まだまだ深まっているとは言いがたいと弁明しておきます。

『ゴルギアス』ですが、これは手に汗を握る激しいやりとりが展開されていて、これがプラトンの「作品」ということを忘れて、目の前にソクラテスがいてリアルタイムで会話が報告されているかのような錯覚さえ覚えました。これが紀元前四世紀の作品かと。

つぎのような会話があります。

 

ソクラテス「しかし、そうすると不正をおこなっている者が、裁きを受けなければ、君の説だと幸福になるのだね?」(岩波文庫、加来彰俊訳、472E)

ポロス「そうです」

ソクラテス「だが、僕の考えでは、ポロスよ、不正を行っている者や、不正な人間は、どっちみち不幸だけれども、しかし、不正を行っていながら、裁きも受けず、罰にも処せられないなら、そのほうがもっと不幸であり、それに比べると、神々や人間たちによる処罰を受けて、罪の償いをするなら、その者の不幸はまだしも少ないのである。

ポロス「ほんとに奇妙なことを言われるのですね、ソクラテス」

(中略)

ソクラテス「よし来た!さあ、それでは不正を行うのと、不正を受けるのとについて、いましがたはどんなふうに言われていたのかね。不正を受けるのはより悪いことであるが、しかし、不正を行う方がより酷いことであると、こう君は言っていたのではないかね。」

ポロス「ええ、そう言っていました。」

ソクラテス「それなら、不正を行うほうが、不正を受けるよりよりも、より酷いのだとすると、その方がより苦痛なことであり、それで苦痛の点でまさっているから、より酷いのであるか、それとも害悪の点で、もしくはその両方の点でまさっているから、そうなるのかそのどれかであるということになるのではなかろうか。このことも必然的にこうなるのではないかね。

ポロス「それも必然的にそうなります。」

 

とまあこんな風に延々会話は続くのですが、いわばソクラテスの罠に陥ってゆくポロスが描かれています。結論の妥当性(不正を行って裁きを受けていない者は裁きを受けた者より不幸である)はやはりソクラテスが勝っているように思うのですが、なかなかの策士のようにも見えます。このように対話あるいは問答(対話と問答は違うという説もあります)、は直接対決することで、自分の及び相手の弱点が浮かび上がり、それを認識して先に進むという大変重要なプロセスを通ります。

ただやはり、対話もしくは問答が成り立つというか、うまく続くのにはある条件があると思います。それは相手の態度や受容する能力の有無程度です。『メノン』は、「徳について」という副題がついているとおり、「徳」とは何で「それは教えられるものか」というのが対話の議題なのですが、これが一向に深まらないのです。暫定的にメノンは、徳とは正義で、正義とは人を支配することであると定義するのですが、直ちに、ソクラテスから、奴隷が主人を支配するのか、と問い直されてすぐ修正するという具合です。うまくかみ合わない議論の中で、ソクラテスは「徳は教えられない」という結論を出したように思います。

4 福澤の問題提起

さてここまで来て、今度は私は福澤に思いが至ったのです。福澤も徳について述べ、これは教えられないと。『文明論の概略』の全10章のうち4章から7章まで「智徳の弁」が占めているのをご存じだと思います。この部分が本当は当時の儒者を相手にして重要な価値観の転換を図ろうとした箇所と言われているのですが、読みにくいという感じもあります。結局(と結論してよいかどうかは自信がないのですが)、徳は古来かわらないもので、これは教えることはできず、模範を見習って身につけるというしかないものであり、今重要なのは智で、徳は智と連動して、よりよい大智への向かうことが重要であるというものと言っていると思います。また、前述の『独立のすすめ 福澤諭吉演説集』にも、「道徳は説くのではなく示せ」という演説を明治19年2月27日三田演説会で行っていますが、道徳は教えることができない性質のものだと述べて、各人の品行の向上を願うという趣旨の演説をしています。

そうすると、ソクラテスと福澤は同じ結論に達していたとみなければなりません。天才はかくもあるべきかなと感心せざるを得ません。

(続く)

(奥村 一彦:弁護士)

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