奥村一彦:51号「私の好きな諭吉の文章(27)」

     「私の好きな諭吉の文章」(27) 

                                奥村一彦(80年経済卒)

 

今回は福澤の最も根本的な位置を占めている思想であるところの「言葉による人と人の会話」が、文明開化との関係でどのような位置を持つか、どのような意義があるかを深めたいと思います。なお、言語での人とのやりとりはいろいろと表現できます。会話、対話、談話、演説、など、これらを一括してここでは「会話」と呼びます。福澤の著作はすべて『福沢諭吉選集』全12巻岩波書店版を用います。

 

1 知識を獲得する手段としての「会話」=「第一がはなし」

私は、福澤を語る際には、まずなんといっても『福沢全集緒言』にある「会議弁」で書かれている「第一がはなし」という演説原稿の一部を持ち出します。これまでも引用しましたが、重要なことがらなので繰り返します。この言葉は、明治6年、はじめての演説会を個人宅で開いた時に、福澤が学問とは何かを説明したくだりで用いられた言葉です。学問とは「はなし」から始まるというのです。

 

「学問の趣意はほんをよむばかりではなく、第一がはなし、次はものごとを見たりきいたり、次には道理を考え、其次には書を読むと云ふくらいのことでござります」(『福沢全集緒言』「会議弁」)

 

人間が知識を獲得する最初の行動は、人とはなしをして、あるいは、人のはなしを聞いて、相手から刺激を受けることを指していると考えられます。自分以外の人との会話から問題意識が発生し、その不審を解くため、あるいはもっと深いことを知りたいと願い、次々と自分で行動実践していくようになる(見たりきいたり、道理を考える、本を読む、と)。その最初の入口というのです。この福澤の思考の順序は、たいへんよく整理され、実際にも人の知識獲得の過程の流れを言いあてていると思います。

 

2 知識の交易、知識を散ずる手段としての「会話」

次に、福澤は『学問のすすめ』第十二編「演説の法を勧るの説」において、以下ように述べます。

 

「故に学問の本趣意は、読書のみに非ずして、精神の働きにあり。この働を活用して実地に施すには、様々の工夫なかる可らず。ヲプセルウェーションとは、事物を視察することなり、リーゾニングとは、事物の道理を推究して自分の説を付ることなり。此二箇条にては、固より未だ学問の方便を尽くしたりと云う可らず。尚この外に、書を読まざる可らず、書を著さざる可らず、人に向て言を述べざる可らず、此諸件の術を用ひ尽くして、初めて学問を勉強する人と云ふべし。即ち、視察、推究、読書は以て智見を集め、談話は以て智見を交易し、著書、演説は智見を散ずるの術なり。」『学問のすすめ』第十二編「演説の法を勧るの説」第3段落)

 

このように述べて、学問には知識を集める方向と交易・散布する方向の二つの方向があることを指摘し、今の学者には後者すなわち知識の交易・散布する方向を怠っていることを責めます。「今の学者は内の一方に身を委して、外の務めを知らざる者多し」(『学問のすすめ』第十二編「演説の法を勧るの説」第4段落)と。すなわち智見を交易し、智見を散ぜよと。

 

3 「会話」が人間活動の中核を占める

そもそも会話というものは人間だけの持つ最高の能力で、これを使わないでは、古い慣習が打破され新しい思考様式は獲得されない、すなわち社会が文明化されないという問題意識なのです。福澤は上記の学者の義務としての知識の探求と知識の普及を論ずるにあたって、まず「会話」により学問が開始され、「会話」により知識が世に普及すると位置づけます。つまり「会話」が人の精神活動の中心的位置を占め、これが人間の行動のすべての出発点であり、これが人間の行動継続の実践目標であるというのです。

また、福澤は、口でしゃべる言葉には重要な働きがあると言います。「文章に記せばさまで意味なき事にても、言葉を以て述べれば之を了解すること易くして、人を感ぜしむるものあり」(『学問のすすめ』第十二編「演説の法を勧るの説」第2段落)。発話する関係においては、相互に理解を速やかにし、相手を感動させる力があるというのです。口を用いよと勧めるわけです。発話による意思の伝達は言語活動の本質的部分で、その持つ力については今後研究したいと思っております。

 

4 「会話」は文明の進歩の手段

福澤は、さらに進めて、『学問のすすめ』第十五編において、異説争論が社会進歩の原動力となったことを展開します。

 

「文明の進歩は、天地の間に有る有形の物にても無形の人事にても、其働の趣を詮索して、真実を発明するに在り。西洋諸国の人民が今日の文明に達したる其源を尋れば、疑の一点より出でざるものなし。」「人事の進歩して真理に到達するの路は、唯異説争論の際にまぎる一法あるのみ。而して其説論の生ずる源は、疑の一点に在て存するものなり。」(『学問のすすめ』第十五編「事物を疑て取捨を断ずる事」第2、3段落)

 

会話の一つの形態として、お互いに異なる意見を述べあい、論争することがありますが、これこそが社会進歩を促した要因で、しかも唯一の要因とまで述べます。福澤の提唱するこの人と人との会話というテーマは、はなしはいずれ異説争論という現象を生じ、社会進歩に大きな働きをもたらすものとして、ここにおいて、会話というものが社会を新しくする非常に根底的な原動力であるという問題提起をします。これらを実践するために、福澤は三田演説館を建てます。三田演説館は明治8年に建築されているので、福澤は演説で社会革新を目論んだのです。正に実行力の人と言わざるを得ません。

ところで、福澤が『学問のすすめ』第十五編を書く明治9年ころまでには、既に『文明論の概略』を上梓しており(同書の緒言は明治8年3月25日に書かれことが記載されています)、同じテーマが表現を変えて出てきます。

 

「是等の弊害は(注 封建の時代の江戸藩邸と国元との諍いのこと)、固より人の智見の進む従て自から除く可きものとは雖も、之を除くに最も有力なるはものは人と人との交際なり。その交際は、或は商売にても又は学問にても、甚だしきは遊芸、酒宴、或いは公事、訴訟、喧嘩、戦争にても、唯人と人と相接して其心に思ふ所を言行に発露するの機会となる者であれば・・」「人民の会議、社友の演説、道路の利用、出版の自由等、都て此類の事に就て識者の眼を着する由縁も、この人民の交際を助るがために、殊に之を重んずるものなり。」(『文明論の概略』巻之一 第一章)

さらに

「試に見よ、古来文明の進歩、其初は、皆所謂異端妄説に起こらざるものなし」「又近く一例を挙て云へば・・若し十年前に当て諸藩士の内に廃藩置県等の切を唱る者あらば、其藩中にてこれを何とか云はん。立どころに其身を危ふすること論を俟たざるなり。故に昔年の異端妄説は今世の通論なり。」(同)

 

甚だ引用ばかりで申し訳ないのですが、福澤の思想の原点を探るにはここを通過しないといけないと痛感するからです。福澤の文明開化という用語はどのような意義を含んでいるのか、自由の生じる源泉は何か、平等は何故必要か、さらに独立心や独立はどのようにして養うのか、などの重要思想の根底には「会話」があると思うのです。今後これらについて述べていきます。

 

(続く)

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