杉本知瑛子:54号「福澤諭吉と中川牧三」(5)
福澤諭吉と中川牧三(5)
杉本知瑛子(1997、文・美(音楽)卒)
*「福澤諭吉と中川牧三」(2)-3
3、洋行前:中学から京都の同志社へ(賛美歌=歌=を歌いたくて同志社を選ぶ)、しかし兄上が二商(現在の北野中学のところ)の卒業生のため一年で二商に転校させられる。
二商の校長大沢渚によるアメリカの教育方法により英会話(イギリス人宣教師ミス・ソーターの授業)を習得、ミス・ソーター(ロンドン王室音楽学校のバイオリン科卒業)より師宅にてバイオリンの個人指導を受ける。
また同時に師宅でお茶のマナーとかフォークソングなども教えられる。(大正時代半ばの話である)
(この頃、中川先生は京都で同好の士を集め二商の雨天体操場で仲間とバイオリンの練習を始める)
大学は同志社に入り、賛美歌会で神学館にいたアメリカ人のシャイベリ先生といつも一緒に歌う。
又「京都公会堂」での「同志社イブ」でバイオリンのソロ演奏を行いその後オーケストラをつくる。
(京大にはすでに京大オーケストラがあったので同志社でも、と真似をされたそうである)
オーケストラに必要な楽器は全て京都の十字屋に頼み揃えるが、お金だけでなく準備等の負担も大きく勉強の時間が無くなり「こんなことではいかん。一年志願兵に行け」と父上より命じられる。
福知山の20連隊に志願兵で行く。軍服でダンスホール(当時の社交場)に出入りするが、そこで谷崎潤一郎(1886~1965)、白洲正子(1910~1998)等とも知り合う。
クー「怖いお父さんだったんだね。」
チル「当然よ。今の時代だって息子が音楽活動に夢中になって、大学の勉強をする暇もなくなってしまったら・・・それに京都の十字屋さんは中川家のことをよく知っているので、息 子さんでも頼まれればいくらでも楽器を用立てるわよ。オーケストラに必要な楽器全てだから、途方もない額になるわ。」
クー「考えられない!中川家ってどれだけ大金持ちなんだろう。」
チル「京都の近衛家に隣接した邸宅で、近衛家とは対等な親戚付き合いだったということよ。現在ある京都府立医科大学の敷地は、中川先生のお父様が京都市に寄付された土地なの。
それまでは、国策に沿って牧場にしていらした京都市内の土地を、敗戦前に京都市に寄付をされたみたいね。敗戦でGHQに没収されるのが分かっていたのかしら。近衛家なんかは全資産を没収されて大変だったみたいね。中川先生のお母様が京都で住んでいらした近衛さんのお母様のところに訪問するときは、食料品などを届けておられたということよ。
近衛家の財産も三浦和男先生のお父様の資産も全てGHQに没収されて、戦後の生活は困難を極めたらしい、とソフィアさんが話していたわ。」
クー「三浦先生ってだあれ?」
チル「慶應の哲学者よ。凄い頭脳の持ち主でソフィアさんびっくりしていたわ。あとでまた出てきたときに詳しく書いてあるわ。その三浦先生の大叔父さんが、満鉄(旧満州鉄道)の総裁だったのでお家のお金は全て満鉄の株券にしていらしたの。で敗戦で全部無価値になってしまったそうよ。広大な邸宅はGHQに没収され、幹部の駐屯所にされてご家族は住むところも無くなったということよ。」
クー「中川先生は志願兵にされて、大丈夫だったの?」
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*福澤諭吉と中川牧三(2)-4
チル「福知山の20連隊に志願兵で行かれたのだけれど、その連隊は日本一厳しいことで有名な連隊だったんですって。」
「凄いところへ行かされたんだね。可哀そう・・・」
《「天才と凡人(2)-4」
4、除隊後は同志社に戻らず会社勤めをするが音楽への思いが断ち切れず,近衛秀麿氏(1898~1973)に「ヨーロッパに連れて行ってくれ」と頼むことになる。
バイオリン:昭和5年(1930年)近衛秀麿氏と共にシベリア鉄道でヨーロッパへ渡る。先ず、ベルリンでは一番偉い先生カール・フレッシュ(1873~1944)に師事するがアドルフ・ブッシュ(1891~1952)の演奏を聴いて驚きバイオリンの勉強を断念する。
同じ時期にカール・フレッシュに師事していた喜志康一「(1909~1937)も日本との演奏技術の格差にひどいショックを受けバイオリン(音楽そのもの)をやめてしまったそうである。
(声楽のワイゼンボーンやバイオリンのカール・フレッシュは厳しい方だったようで、ベルリンでは「悲嘆のどん底」だったと述べられている。
同行された近衛秀麿氏は元首相近衛文麿氏の実弟で貴族院議員、当時は指揮者としてすでに成功を収めていた:近衛氏は山田耕筰(1886~1965)氏と一緒に新交響楽団を創設して指揮者に就任済。
船だと40日かかるがシベリア鉄道だと韓国の釜山からベルリンまで13日で行ける。それで近衛氏がベルリンでフルトベングラーの指揮を見たいとの事で鉄道に決まったが、片道のシベリア鉄道に乗るだけで近衛氏との二人分で21万円かかったとのこと(1階に3間2階に2間あるきちんとした借家の家賃が5円の時代である)それで着いた翌日フルトベングラーの演奏を聴くことができ、十数日前に近衛氏が東京で振ったばかりの曲との違いに驚愕される。
是非その秘密を知りたいと思いお二人はフルトベングラーに会いに行かれる。彼が楽譜に全部自分でハーモニーを書き足していたことを知られるや、彼の楽譜を全部借りお二人で全て写し取られたのである。後日エーリッヒ・クライバー(1890~1956)やクレンペラー(1885~1973)等からも彼等の譜面を快く貸して頂けたとのことである) 続く》
クー「凄い話がどんどんでてくるよ。はやく、はやく!次!」
チル「はあい」
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(2)-5へ続く

