野村6)福澤諭吉全集の牛歩研究 その6・・・30号

「福澤諭吉全集の牛歩研究と、今の仕事と、塾の理系話題その第6」

                       野村 政直 (平成15、経)

桜の季節も都会では過ぎつつあり、年度も替わりました。何より今年の5月からの元号が「令和」と制定され「平成」も残り僅かな日々となりました。昭和、平成と生きてきて、次の「令和」がこの5月から始まるに当たり、天保、文久、元治、慶応、明治と生きられた福澤先生の激動の時代とは比べようがないかもしれませんが、これまでの中国古典からの依拠ではなく、日本の万葉集から取った言葉との政府説明は少し考えさせられました。美しい漢字を残して、中文ではなく、日本語として使っている日本国民として、漢字での元号表記は何れにせよ、中国との関係性はあるわけで、万葉集由来でこれまでとは違うと言っても余り意味のない主張の様に思います。「令」と言う漢字は命令とか、号令とかの意味を感じる人も多いのではないでしょうか。1つの命令で国全体が和するとなると、少し危険な元号の雰囲気もある様に見ました。穿った見方でしょうか。唯、自由で民主主義な国とはいえ、号令というか、ルールをしっかりと守ることは成熟した先進国の次の時代の元号として、「凛」とした印象も持ちました。日本政府として命令の「令」を選んだとはとても発表できなかったでしょうが、漢字が意味する所として、号令の様に規律を求める一字表現でもあり、戦前の統制社会への逆戻りはあってはならないでしょう。

今年の花見は伊勢神宮と松坂城で家内と楽しみました。まだ少し肌寒い日でしたが、内宮は多くの人で混雑して、古くからの伊勢詣では今なお日本人の心の故郷めぐりの様に感じました。宿は鳥羽港から船に乗り菅島の小さな料理旅館に週末の宿泊を楽しみました。特にアワビや伊勢えびのお造りは絶品で、地元でしか出てこないアワビの肝の美味しさを堪能できました。京阪神から鳥羽地方は近鉄で便利な場所であり、短期で寛ぐには良い観光スポットと思います。松坂城内には本居宣長記念館があり、古事記伝を書き残した国学者の生い立ちや生活を具に見ることが出来、古事記伝を何時かじっくりと読んでみたいものだと思いました。医師として多忙な日々を送りながら、人生半ばで古事記の研究を開始し、35年程掛けて44巻に亘る古事記伝を完成させました。日本的な読み方を研究し、書物に書き残した功績は計り知れないものがあったと思います。

話を福澤諭吉全集に向けて、今回は全集第3巻の頁41からです。やはり遅々として牛歩的な研究になっています。「学問のすすめ」の第2編中の文章からです。「人民若し暴政をさけんと欲せば、速に学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざる可らず。是即ち余輩の勤る学問の趣意なり。」と書かれており、単に本を読んで知見を広めることは学問の趣意ではなく、政府と相対できるまで才徳を高くする趣意と書いています。薩長が作った新生日本政府に対する中津藩出身者として、学問を積んで政府と相対出来るまで才徳を高くするとの気合は凄いものと思います。マスコミ的な批判ではなく、やはり国民一人一人がその時の政府のやり方や、方針に対して、相対できるまでの意見を持って、述べて、書き物で主張出来るように日々の動きに対応していくことは、大いに塾員として勤めていきたい点と思います。6つの元号候補を有識者が出した点までは納得できますが、今の内閣を代表している人だけで元号を制定してしまっている方策がよいものかどうか、国民投票をしても良いのではないでしょうか。

第3巻の頁43では、「加之貧富強弱の有様は天然の約束に非ず。人の勉と不勉とに由て移り変わる可きものにて、今日の愚人も明日は智者と為る可く、昔年の富強も今世の貧弱と為る可し。古今其例少なからず。……何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものにはこれに交り、道理なきものはこれを打払はんのみ。一身独立して一国独立するとは此事なり。」と学問のすすめの中で述べています。学問を積んで人として独立し、国として独立するとの強い意志の表しと言えましょう。今の大学生でこれ程までに学問の意義を持っている学生はいないのではないでしょうか。時代が違うとはいえ、学ぶ姿勢の違いが社会全体の雰囲気や、国の方向性として表れるように思います。戦争のない平和な時代が続き、独立が無条件で得られているとの錯覚が蔓延しているのではないかという感を覚えますが、明治初期を力強く生きた福澤先生の学問をする意味や目的がこの「学問のすすめ」という書物に凝縮されており、今読んでも様々な記述に大きな影響を受けます。慶応大学の学生のみならず、日本の高校生や大学生にぜひ一度、福澤先生の「学問のすすめ」は読んでほしい名著であると思います。

第3巻の頁48から「学問のすすめ 四編」として、「学者の職分を論ず」とあります。この頁49では、「我国の形勢を察し、其外国に及ばざるものを挙げれば、曰く学術、曰く商売、曰く法律、是なり。世の文明は専ら此三者に関し、三者挙らざれば、国の独立を得ざること識者を俟たずして明なり。然るに今我国において一つも其体を成したるものなし。」学者の職分にはこの様な緊急性があると説き、大学の先生方に対しても勉強の必要性を叫ばれました。学生のみならず、学者にも、社会全体に対しても学問のすすめを説いた先生の主張は今なお色あせずに日本の教育者として「学問のすすめ」で語り続けている様に思いました。優れた書物を書き残すことは後世に有意義な貢献と思います。今すぐには評価されなくても、何時か何かに役立つと思われる点を書物に記すことは間違いなく、研究者の大切な仕事と言えましょう。

話は今の仕事へと大きく変わりますが、前回の牛歩研究No.5では、企業の自社の活動報告としてCSR (Corporate Social Responsibility) 報告書の状況を書きました。昨今の企業や大学や自治体の格付けや投資先選択として、この公的なCSRの評価や、環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)といった側面からの分析により、次の活動に向けての機関投資家から投資を受けられるに値するかどうかが評価される時代になって来ています。このESGと呼ばれる投資基準は日本の企業では漸く緒についた所かもしれませんが、ESG先進国の欧州では投資資産の約半分がこのESGの評価やランク付けに依拠する様に成って来ています。米国では今は3割程度と言われています。日本企業でも相当数の企業活動において、このESGの評価結果に耳目が集まるようになり、企業の中枢部機能として、単にモノづくりや商売ではなく、環境影響や、社会影響や、ガバナンス影響に視点をおいた経営とその開示が必須になって来ています。日経新聞の企業のランク付けでもこのCSRやESGに依拠したランク付けが目に付き始めています。グローバルなスタンダードを良く理解していても地域との連携が不十分であったり、地域住民による企業実態の把握が欧米と比べて日本では遅れている面があります。SDGsという17のゴール・目標設定にも耳目が集まり始めました。

大学のランク付けも偏差値に立脚したものから、就職先からのものや、論文数や投稿先論文の引用回数からのものや、経営実態からのものなど各種ランク付けがあります。今の慶応大学では学生の受験では最も頭の痛い偏差値でのランキングでは東京大学と双璧の難しさになっています。これは一重に歴史的な塾員の頑張りの賜物でもあり、学生が入りたい大学として、多くの若者が慶応大学への入学に夢と希望を持っていると言えましょう。三田会のつながりの広さや、親密度では、日本国内のみならず、世界中の至る所で繋がっていますので、大学の同窓会としては特質したものになっています。尚、紙面の都合で塾の理系話題は今回も割愛させて頂きます。次号では眼をそちらに向けて、アンテナを張り、優先的に調べるなりして、次の弊福澤全集の牛歩研究の第7では書ける記事を得ておきたいと思います。塾関係の講演会などに出る機会を少し見つけにくい、関西在住の難しさが少しあるかもしれませんが。

(野村政直:医学博士・石原産業社長室・慶友三田会会長)

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