野村1)福澤諭吉全集の牛歩研究(1)・・・25号

  「福澤諭吉全集の牛歩研究と、今の仕事と、塾の理系話題」

                         野村 政直(H15、経)                                                               

諭吉倶楽部に始めて参加させて頂きます。杉本さんとは慶友三田会で以前に知り合う事があり、何時も会報誌を送って頂いて居ました。今年の奈良での関西合同三田会の前夜祭で、偶然にお会いし、諭吉倶楽部への参加、原稿投稿の話題を電子メールで連絡を頂き、相談しました。

日頃の企業での部長職に加えて、今年の6月に慶友三田会の会長を仰せつかり、時間が取れるかどうかと迷いました。そんな消極的な連絡に対して、諭吉倶楽部に投稿されている他の方々はもっと忙しい方でも、投稿され続けて居ると杉本さんに諭され、確かにご多忙な方ばかりと思いました。

この11月に奈良でお会いした塩野社長は複数の会社を経営され、多くの同窓会の重鎮もされていて、ずっとご多忙なのに、諭吉倶楽部にも記事を投稿されてお見えなので、今の仕事レベルでの弱音は許されないかなとも思いました。そこで何とか少しずつでも、投稿して、この会に参加して見ようと思いました。実は慶友三田会の会長をお引き受けした時に、福澤諭吉先生の事を不勉強過ぎて、会員の皆様に迷惑をかけてはいけないと一念発起し、岩波書店から出ている現行版「福澤諭吉全集」全22巻をAmazon.comで購入していました。文体が少し古く、現代人には読みづらい漢字も多いので、しっかりと腰を落ち着けて読み込まないと理解できない記述も多い感があります。古い文体には慣れづらく、未だに難儀しながら、少しずつ読んで居ますので、正しく牛歩的な研究になっています。そんな中で、色々とメモに残して他の方々と相談して見たい記述や、先生の感銘を受けるお考え等に数多く接する事があります。杉本さんに聞いたら、記事は何でも良いとの事でしたので、私はこの全集を少しずつでも牛歩の様に読んで行く中で出会い、記録した自分のメモからの投稿をメインとして参加させて頂こうと思います。その上で、今現役で続けている仕事関係の話題も少しずつでもご提供出来れば、杉本さんの諭吉倶楽部への原稿のご依頼量を何とか適えられるかなと思います。後、自分の仕事に関係する塾の理系学部(医学部、薬学部、理工学部)からの話題も少し添付できると投稿記事量を要請頂いて居るぐらいに出来るかなと思います。

日頃の企業での仕事は、化学合成品の安全性全般を見る仕事で、最終的にはヒトへの影響を判断出来る様に、1薬剤で400近い安全性試験のまとめ役の様な仕事をして居ます。海外出張が多かった大阪本社での登録担当も何とか対応して、今はまた企業の研究所勤務となり、若手の育成と次の薬剤開発に傾注して居ます。研究上での若い頃からの専門は顕微鏡を見る病理業務が主でしたが、ベルギーのブラッセルで海外登録担当として勤務しましたので、ヨーロッパへの化学品の登録担当は今もその作業を続けています。かつては、米国が1番薬剤の登録が難しかった時代から、今はヨーロッパの登録基準が世界で最も厳しく成っていますので、ヨーロッパ基準を満たせる申請用のパッケージを薬剤毎に揃えて居ます。その後で、残りの国々への登録を取る作業を継続しています。塩野社長も、香料の日本登録において、登録当局からの無理難題に何時もお困りの様なお話しを先日の奈良で教えて頂きましたが、農薬や一般化学物質や医薬品や医療器具等の登録は本当にややこしくて、役人さんも大変だなと思いながらも、もっと柔軟に対応してほしいものだと何時も皆で憤慨しながら、仕事を続けています。少し前置きが長くなりましたが自己紹介はこれぐらいにして、本論の福澤先生の全集の第一巻からの話題に入りたいと思います。

第一巻のp7-8にかけての記述で、元中津藩士の高谷龍洲先生に、自分の文章は妙で、カナ交じりの俗文なので、漢文を学ぶべしと言われたという文章があります。この指摘を受けた時に、福澤先生は御礼を言いながらも、全く同意せず、漢文自体や、漢文の先生を逆に排斥して居ます。三歳にして父を喪い、弱冠にして洋学を学んだので、自分の文章は最初より世俗と決心されて居ます。最初から反発するのではなく、表面的には穏やかにお礼を先に述べながら、全く同意されませんでした。自分に無理難題を言ってくる会社の上司や、競争相手にもこの様な態度が取れるかどうかが、職場で重要な人間関係に帰結してくるのではないでしょうか。最初の返事はyesでも、自分の考えはbut noと上手に会話できると、自分のストレスも減らしつつ、職場の環境もやりやすい方向に持って行ける様に思います。先生は漢文をより深く学ぼうとはされず、自分の文章は世俗と決心されました。このような固い意志があったればこそ、先生の文章が逆に明治の世に広く受け入れられたとも言えるのでは。当時の漢文の大家に楯突いても気にされず自分の道を進まれた選択は、当時から独立自尊の精神が旺盛で、将来のご活躍に繋がって行ったのであろうと読ませて頂きました。

続いて同じく第一巻の p22では、地図の上での大小で国の大小を述べるのは、意味のないことと述べられています。何故なら人が住まない不毛の地を考えて比較すると、世界の当時の平均が一里四方の面積に対して120人であったのに、当時の日本では同じ一里四方の面積において1200人が住んでいたので、日本の国力は世界平均の10倍であり、諸国を恐れるに足りぬと述べて見えます。況して産物は沢山、食物は勿論、金銀銅銭、何一つ不足なき富有の国にて、世界中に恐るべき相手なし。とも述べられています。実に大きな見方をされ、それをご自分の出版物の中で何臆することなく、堂々と断じて見える事、痛快に思いました。今なら、 ”元気に働けて、自国を愛し、前向きに生きている人口を分子に、実人口を分母” にして、国際比較して見たらどうでしょうか。人口だけ多い中国やインドに負けない労働力が実は日本にはあると言えないでしょうか。

また第一巻のp27では、初めてヨーロッパに行った時に現地の人が蒸気汽車の仕組みの初歩を長時間説明してくる事に閉口されて居ます。エレキテルも含めて先生は日本で原著を既に読み終えて居て、通り一遍の仕組み等は既に理解済みで臨まれて居たので、長々とした説明に閉口だったと書かれて居ます。この辺りに明治維新時代の人達の気骨や、優秀さや、異文化を取り入れる姿勢が表れていると思います。単に見聞きして、教えて頂こうと言う受け身な姿勢ではなく、遠く離れていても得られる情報や文化は前もって積極的に、且つ広範囲に学んだあとで、現地検証に臨まれている。これだと単にものまねや、表面的な文化の吸収ではなく、本当に自分達に必要なものを、有益情報や物品の中から見出し、活用し、応用し、有効利用して行ける。この姿勢が、脈々と流れている日本の良さを垣間見る思いがしました。

それでも見るもの、聞くもの、驚きで一杯であり、例えば郵便の仕組みとして、切手を貼るだけで国中届くことに驚嘆され、当時の日本の飛脚制度と全く事なった点を記述して見えます。明治政府が迅速に郵便制度の改革に着手出来たのも、先生の西洋事情報告が大いに役立ったと思われます。

こんな感じで、福澤諭吉全集を少しずつ読み進めるなかで面白かった点、勉強になった点などをメモに取り、定期的に書いて行こうと思います。それに付随して今の仕事に関係する話題や、それに関係する塾の医学・薬学・理工学関係の話題も日頃のメモを活かして、読者に役立てられる様に投稿出来たら良いと思います。秋の連合三田会の講演会の中で、医学部三四会が主催された百寿総合研究センターの岡野栄之教授のご講演において、百寿長寿者に共通する若さのポイントとして、血管年齢を上げて見えました。やはり動脈硬化等が進んだ方では、百歳まで生きるのは難しくなるそうです。血管年齢を若く保つ為には、食事と運動への配慮が肝心とのご講演は勉強になりました。この様な理系学部の三田会からの話題も合わせて、弊投稿記事に付随できると話題に少し特徴を出せて良いのではないかと思います。今回記事は以上迄です。

(野村政直:医学博士・経営学修士・現 石原産業中央研究所室長・慶友三田会会長)

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