野村政直(17)~福澤諭吉全集の牛歩研究(17)・・・41号

「福澤諭吉全集の牛歩研究からの17話と、まだ暫くはwithコロナなど」

                         野村 政直 (平成15、経)

令和4年2月半ばとなりコロナパンデミックは第6波が新たに猛威を振るっている。昨年の後半ではワクチン接種が国民の8割となりデルタ株による蔓延は収束に向かったが、新たなオミクロン株と呼ばれる変異種が出てきて、これは感染力が強くて、あっという間に世界的な主流株となりパンデミックが今年もまだ続いている。唯、この変異種は肺炎を起こす率が低く、喉元の風邪で終わったり、無症状だったりする人も多く、イギリスやデンマークでは規制を外して対応している。日本でも感染症のⅡ型としての厳しい対応ではなく、Ⅴ型としての対応で良いのではないかという専門家の見解も出ている。それでも行政的には病院の逼迫が高まるにつれ、規制を緩めるわけには行かず、重苦しい社会風潮はまだ続いている。一昨年のこの頃から始まった100年に1度と云われる世界的な感染症は、夏の東京オリンピックの1年延期だけで済まずに、今度は北京での冬季オリンピックでも無観客での開催となっている。選手には応援がない状況でも日頃の練習の成果を十二分に発揮し、ベストを尽くした健闘を期待し、冬のスポーツの祭典で世間を元気づけてほしいものだ。

職場でも就労者数が多い事業地ではコロナ感染者や濃厚接触者がチラホラと出ていて、都度PCR検査の実施を受けて暫くの職場離脱状況となっている。どの部署も殆どぎりぎりのスタッフで仕事を分担しているので、この休みを取らなければ行けない人が増えてしまうと、生産や販売に支障が発生し、企業活動も止まってしまう恐れがある。国会は数名の感染者による欠員でも回っていくのかもしれないが、もの造りの現場はそんな訳には行かないので、諸外国での対応を参考に行政ももっと柔軟にこのコロナ対応策を都度変更していくスピード感がほしいものだ。殆どの人が健康を維持できて、無症状で収まる今のオミクロン株での感染症であれば、これまでのインフルエンザ蔓延時での対応で良いと思われるが、日本の行政やマスコミの仕組みと云うか、判断力ではこの迅速性は無理の様だ。デンマークやイギリスでの規制撤廃的な変異種対応をもっと困っている業界の人々は行政に強く訴え続ける必要があるのかもしれない。例えば、今のオミクロン感染の状況でのクラシックコンサートであれば、満席にして公演しても感染は拡大しないはずだ。それでも入場制限を何時までも続けていては、音楽業界の人達の活動はとても運営していけない様に思われる。マスクを維持し、3密回避を続けている我々の真面目さが何処でも発揮されているので、多くのイベントでの入場や参加活動は大幅に緩和されるべき段階に来ていると思料する。

福澤全集の研究も本当に牛歩的な進捗でスピードは上がらないが、それでも少しずつ続けているので、この会への投稿も何とか続けられている。今は継続性がより重要と評価される時代なので、これはこの活動で良いのではと思い、福澤全集の分析も続けている。今回も第4巻の文明論の概略を少しずつ読み進めている中から線を引いた個所の考察を続けた。この記述には興味惹かれる内容が多数出てくるので、慌てることなく、じっくりと読み進めている。そんな中で、特に興味を覚えて下線を引き、自分の見解をそれに書き添えた個所をこれまで同様に下記に纏めてみる。

第6章 智徳の弁(頁83行2)より、智と徳とを区別して其趣の異なる所を示す可し。徳とは徳義ということにて、西洋の語にて「モラル」と云う。「モラル」とは心の行儀を云うとなり。一人の心のうちに快くして屋漏に愧じざるものなり。智とは知恵と云うことにて、西洋の語にて「インテレクト」と云う。福澤先生の云う智徳の正しい定義をここの個所で理解することができた。徳とは心の行儀であると書かれていて、今までは朧げに理解していた慶應義塾精神の1つ、智徳のうちの「徳」が意味しているものを文字で正しく把握できたことは、自分での福澤研究における成果と言える様に思える。今後の三田会活動などに於いて「気品の泉源、智徳の模範」の徳が先生の定義では「徳義」の事であり、英語ではモラルと通じて、これは「心の行儀」とも云えると理解できたことは塾関係者や三田会仲間と語り合える、自分の理解となった。この様な知識の積み加さねが、コツコツと研究を続けていく目的やメリットと言えるのではないだろうか。この知恵と徳義に関する先生の記述は続いていて、頁83のL2辺りには以下の記述がある。

「知恵と徳義とは恰も人の心を両断してその一方を支配するものなれば、いづれを重しとなし、いづれを軽しとなすの理なし。二者を兼備するに非ざれば十全の人類と云う可らず。然るに古来学者の論ずる所を見れば、十に八、九は徳義の一方を主張して事実を誤り、其誤の大なるに至りては全く知恵の事を無用なりとする者なきに非ず。」と書いている。先生の見解では知恵と徳義の両方が大切で、徳義だけをより重要とするべきではないとのこと。その例え話として採食と肉食に言及し、共に重要である点をこの後で説明されている。読んでみて同感を覚える記述であった。

第7章 徳義の行はる可き時代と場所とを論ずでは、「事物の得失便不便を論ずるには時代と場所とを考えざる可らず。陸に便利なる車も海に在りては不便なり。昔年便利とせし所のものも今日に至りては既に不便となり。」全くその通りの事実と云える。適切な所とタイミングで必要なことを迅速にできるかどうかは、全てのビジネス事象に関係して来る要点ともいえる。唯、書くのは簡単でも、それを実践するのは難しいのが実態として数多くあるのではないだろうか。

海外勤務をしていた期間が略3年間あったが、海外支社では予算もなく、何かの活動を実行しようとすると何時も本社の了解や決算が必用であった。EUでは今すぐに実施しないと大問題になる案件でも例えば3000万円の追加予算が必要となると、本社の取締役会に諮る必要があり、早くて1月、悪くすると数か月先でないと決められない案件を何度か体験した。これはグローバルな活動を続けている企業においては、どの担当者も実際に抱える問題点であろう。今は通信速度が大変に早くて情報の共有化は瞬時に図れているが、追加予算の必要性の切迫度は現場と遠く離れた日本本社の経理部門とは大きく異なっていたりすると、追加予算の認可は簡単には下りない。必要な時に必要な予算執行ができないと、3か月後の決算ではもうお金を無駄にしてしまうようなビジネスの流れの早さがある。海外業務を多く実施しているグローバル企業の現地責任者は何時も大変な作業を続けているはずと自分の経験から推測する。先生の徳の実践タイミングから少し話題がそれたが、自分の今の仕事にも関係する適切な時期に関するトピックスだったので少し逸脱してみた。

さて、最後に最近の塾の報道関係のプレスリリース情報から1つの話題に触れてみる。そ   れは、ある難病治療の最前線情報で以下のものが2022年1月14日の報道機関へのプレスリリースとして塾から公開された。{「亜急性期脊髄損傷に対するiPS細胞由来神経前駆細胞を用いた再生医療」の臨床研究について。}と題されたものだった。これまでは一度脊髄を損傷するとその後は下半身不随や麻痺を生涯抱えて、ベットでの寝たきり生活を強いられるのが通常だった。これに対して最近のiPS研究により自分の神経細胞を増殖させ、これを傷ついた個所に移植して治療しようという再生医療が実施されたとの報告であった。これまでの網膜移植での成功例に続いて、山中先生のグループが開発してきたiPS細胞を使った実際の臨床治療として、慶應大学も脊髄損傷患者を救う方法として、約200万個のiPS細胞の移植治療を行ったことは、新しい画期的な治療法として注目され、その成果がよいものとなれば、今後大いに普及して行く事でしょう。日本の医療でも塾はこの分野の先導者たらんと常に前向きに努力を続けていて、素晴らしい一面を窺い知る記事であった。

(野村政直:慶友三田会会長・石原産業社長室・医学博士)

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